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「人間国宝万事塞翁が馬」
(2008-8-16)
SCENE9
その時Tは空港のロビーにいた。友人が来るまでにはまだ時間がある。仕方無しにTはスーツケースに腰掛けぼんやりと遠くを眺めていた。その時だった。Tの視界の中に一人の初老の男性が入った。数秒ののち、Tはその男性が誰であるかを認知した。“ゲッ、A木先生だ”紛れもなくその初老の男性は尺八の人間国宝A木R慕師だった。Tは慌ててスーツケースから降り直立不動の姿勢になって口を開いた。“ごぶさたしております、大阪のI川です”するとA木先生はTの顔をマジマジと覗き込み、合点がいったようにこう言った。“老けたねぇ”
7月4日〜8日、シドニーに於いて『国際尺八フェスティバル2008』が開催された。
私も招待演奏家の一人として参加させていただいたのであるが、まさしく度肝を抜かれたといっても過言ではない。日本からは人間国宝のA木R慕師を筆頭にピチピチ(?)の若手まで尺八家約30名に絃方、作曲家などを加え総勢40名以上、そして諸外国からも20名以上が招聘されるという大盤振る舞いで、昨今の日本では考えられないような豪華な顔ぶれであった。
また、内容も2年を超える時間をかけて綿密に組まれたプログラムで、大会場でのメインコンサートと日本の巨匠(人間国宝A木R慕師、五世荒木古童師、川瀬順輔師、宮田耕八朗師)の講習が毎日あったほか、コンサートや講習会、ワークショップ、パネルディスカッションなどその数合わせて70以上という充実極まりないものであった。特に海外の尺八奏者に人気の高い古典本曲や三曲はいうに及ばず、世界初演の現代作品、弦楽四重奏や民族楽器とのコラボレーションなど様々なジャンル、企画が取り上げられ、助演で参加されていた現地の世界的打楽器奏者をして“尺八とは何と幅が広く、奥が深い楽器だ”と言わしめた。
また、若手のコンクール、その名も“S−1グランプリ”が企画され、世界中からの応募の中、予選通過者が覇を競い、見事日本の女子高校生井本さんがグランプリに輝いたことは尺八が新しい時代に突入していることを感じさせた。
(詳しいレポートは〈邦楽ジャーナル〉誌2008年8月号に記載されているのでそちらをご高覧されたい)
とにかく、尺八の国際的な拡がりには目を見張るものがある。もう数十年もブームが続いているアメリカ、今回の芸術監督ライリ・リー師が見事に開拓を成功させたオーストラリアに加え、昨年初めてフェスティバルが開催されたヨーロッパ、着実な伸びの中国、台湾などのアジアなど、海外における尺八は前途洋洋である。〈邦楽ジャーナル〉の記事でもライリ・リー師が「もはや尺八はオーストラリアの楽器です」と言い切っていたように、その発祥や起源はあまり意味をなさなくなってきているのかも知れない。
それにひきかえ本家本元の日本における尺八の前途は多難である。対外的には藤原道山さんが孤軍奮闘しているが、それ以外ではなかなか一般の人々の前に尺八をアピールすることが出来ない状況が続いている。私自身も恥ずかしい話、プランばかりはたくさん頭の中にありながら遅遅として形には出来ていない(先だって終わった「石川ブロス」、ようやく出せたCD「一管懸命V」、10月のリサイタル、など少しづつ行動してはいるが〔“石”ののろいの話〕のようなペースにすぎない)。
そんな中、前向きなニュースがあった。フェスティバルの打ち上げのディナークルーズに於いて、ほぼ4年おきに行なわれている国際尺八フェスティバルの次回開催地に京都が名乗りをあげたことである。ほぼ決定したという噂もある。「尺八ニッポン(?)」を復権させ、世に尺八をアピールする絶好のチャンスである。成功に導くためには想像を絶するような苦労を伴うことが予想されるが、幸い京都には実行力に溢れた先達、仲間が多数存在する。私も同じ関西人(その頃には道州制が導入され、関西州あるいは近畿州になっているやもしれない)として、尺八の再興に貢献したいと希う。
ところで、冒頭の人間国宝A木R慕師との遭遇の話には続きがある。“老けたねぇ”と言われてしまった私は一瞬絶句し、“貴方様からそのようなお言葉を頂戴するのはいささか不本意でございます(関西弁では「ア○タに言われとうないわい!」)”と思ったのであるが、まさか国宝の先生にそのようなお言葉を返す訳にもいかず、数秒間苦悶した後に口から出た言葉は“ありがとうございます”であった。何と間抜けな応答であろうか。頓珍漢とはまさにこういうことである。
その“ありがとうございます”を聞かれたかどうかは定かではないが、次に国宝先生に目を移すと、持っておられたショルダーバッグをやおら床に置かれて何やらごそごそされていた。しばらくの後、バッグから半紙の束らしきものを取り出された国宝先生はそこから一枚抜いて、“これあげるよ”と私に手渡してくださった。そこには直筆で「龍騰鳳舞」という、訳がわからないが何となくありがたそうな漢字が揮毫してあった(どうやら故事らしい)。私は心の中で「えっ、こんなん貰ってええのん、超ラッキー!」と叫び、今度は晴れやかな大きな声で“ありがとうございまーす”と言った。
私の父マサアキは凹(へこ)んだ時に“いろいろあらあなぁ”と言ったが、いろいろあるから人生は面白い。今度海に行った時には砂浜を駆け出し海岸線に向かって“いーろーいーろーあらーなーーー”と叫ぶつもりでいる。
「寝る間が極楽」
(2008-7-2)
“春眠暁を覚えず”孟浩然さんはこう書き遺した。何の何の私は“通年暁を覚えず”である。んもう、一体全体どうしちゃったの?というぐらい毎日毎日眠くて眠くてしょうがない。特にアルコールが入るともうだめである。
“睡魔に克てずスイマセン”などと、故林家三平師匠もズッコケてしまうような駄洒落がついつい口をついて出てしまう私である。
それはさておき、6月は久しぶりに泊りがけの学校公演ツアーに参加させていただいた。場所は長野県木曽郡。“木曽路はすべて山の中である”と藤村が記したとおりの、緑豊かな山々に囲まれた、長閑でのんびりとしたよいところであった。
今回は月曜に現地入りし、リハーサルと打ち合わせ、翌火曜日から金曜日まで小中学生を対象に一日3公演ずつ、計12公演というスケジュールだった。小学校低学年の子供達は音楽を身体で感じ、喜びを表してくれるが、学年が上がるにつれ恥ずかしさも芽生え、少なからず醒めた反応に変わっていくのはだいたいどの地方も共通のようである。
そんな中、今回特に印象に残ったのは、生徒達よりもむしろ、演奏終了後に挨拶をされた校長先生のコメントだった。校長先生といってもせいぜい50歳前後なので、和楽器や邦楽などにはほとんど関わることなく現在まで来られたことは想像に難くない。“和楽器でこんな音楽が出来るとは知りませんでした”“一つ一つの音がすーっと身体の中に入ってきました”等々の感想は本心から出たものだろうと私は感じた。感動のあまり言葉に詰まる先生もおられ、こちらも“もらい感激(?)”した。
今回の公演は司会の役も仰せつかり、なかなかハードな五日間であったが、やはり学校公演は面白く、またやりがいがあると、充実した心持ちで木曽を後にした。
その充実したツアーの中で一つだけ難儀なことがあった。それは、宿泊したホテル(その名も「ねざめホテル」)が一泊二食つきだったことである。
“何だ、結構なことじゃないか!”と思われるむきも少なくないであろう。しかーし、夕食は午後7時からなのである。それまでにホテルの温泉に浸かり、お疲れモードに入っている人間の前にご馳走が並べられてお茶とご飯で済むわけがない。とりあえずのビール(ビール党の私にはこの“とりあえず”というのは不本意極まりないが・・・)でお疲れさんの乾杯を行ない、その後当然のごとくずるずると飲酒パターンに入るという毎日になってしまった。
アルコールが入ると私の身体は自動装備されているAEC(Auto Eye Closer→ずっと前のこの項に書いとります)が働き、2時間の限界ランプが点滅を開始する。午後7時+2時間=午後9時であるから、もう9時には居ても立ってもいられず、寝床にバタンキューをしてしまうことになる。
“何だ、早くから寝られて結構なことこの上ないじゃないか!”とまたまた思われるむきも少なくないであろう。
しかーし、私はビールを飲んで寝ると、今度はほぼ4時間でパチリンコと目が覚めてしまうのである(これはAEO)。午後9時+4時間=午前1時。今回のホテルでも午後9時に眠りに落ち、“あーぁ、よく寝た、さぁ今日もがんばりましょか、ん、まだ暗いな、何時ですかいね”と一人ごちて時計を見ると“げっ、まだ午前1時、ひぇーっ”ということが三日ほどあった。困ったことにここからは目が冴えて眠れなくなるのである。自宅に居る時や翌朝早くない時はもう一度焼酎かウイスキーをちびちび舐めてAECが再起動するのを待つわけであるが、ツアー中は〈6時起床、7時朝食、7時半出発、8時到着&セッティング、9時演奏開始〉という品行方正な朝型スケジュールであるからしてそれも出来ず、再び眠気の催す明け方まで悶々として過ごす「ねざめホテル」の私であった。
この木曽路の経験から、“通年暁を覚えず”の昼間の眠さは「こま切れ寝」と「長い二度寝」の悪循環が原因だと自己分析をするに至った。あまり認めたくないが、続けて眠れないことは体力が落ちてきていることの表れだと思う。長時間続けて眠るのにも体力が必要なことは確かである。充実した50代、60代を迎えるためには眠るための体力をつけねばならぬ、と考える今日この頃である。
ところで、只今“世界のナベアツ”が大ブレークしている。あの「3の倍数と3がつくときだけアホになりまーす」というやつである。実は私もちょっと気に入っている。
そこで、この稿も終わりに近づいたので一杯やりながらちょいと真似事をやってみることにする。
当然私は尺八に引っかけて「108のときだけアホになりまーす」である。
「イーチ、ニーイ、サーン・・スーッ・・・グーッ・・・・zzzzzz」
あららもう寝ちゃったよ・・・・・・ご想像通りのオチでほんまにスイマセン!
「オモロナーイ!!」
「一念岩をも通す」
(2008-5-27)
“いろいろあらあなぁ”
これが亡き父の酔っ払った時の口癖だった。
ちなみに音程はというと、およそ“リリリロリ甲レーイのメリー”、都山式だと“乙ハハハロハ甲レーリー”だった。烈しく酔っ払った時は“いろいろ”が“いっろいろ”になったり、通常“甲のレ”の“ら”のところが“甲のチ”に跳ね上がるというバリエーションがあった。ストレスは音に附点をつけたりピッチを高くしたりする働きがあるようである。
そんなこたぁどうでもいいが、またまたシビれる本に出会った。
『赤めだか』立川談春(2008扶桑社 定価:本体1333円+税)
高校を中退して天才落語家・立川談志に入門した少年(のちの談春)が、前座から二つ目に上がるまでの生活を記した「エッセイというか自伝というか青春記(推薦文より)」のようなものである。本の腰巻で書評家二人が絶賛しているように文章が抜群に上手い。文中には家元・談志を始めとして談春を取り巻く兄弟弟子、師匠連、ひいては米朝師、小さん師にいたるまで多くの人物が登場するが、談春はおそろしいほどの記憶力と筆力で、落語に携わる人たちの厳しくもおかしい日常を鮮やかに描き出している。「笑わせて、泣かせて、しっかり腹に残る」という(こちらも)推薦文のとおり、小気味よさと感動が詰まった一冊である。くやしいが落語家の師匠と弟子の強い絆にジェラシーを覚えてしまった。面白さが半減してしまうといけないので内容を書くことは差し控えるが、落語に興味があるなしにかかわらず皆様にご一読をおすすめする次第である。
さて、私にもまた私と弟子との絆がある。今回は前号のに引き続き、私のところに集う若手の門人を紹介させていただくことにする。前回の“松本クァルテット(????)”に続く第二弾は“岩小安谷(読み方は自由)”である。
今回も入門順で「一念“岩”をも通す」の岩本みち子女史から紹介させていただく。彼女は製管師松本“浩和”君の同級生で、私の稽古場に初めて来たのは大学生の時であった。チャーミング(死語?)な容姿からは“えっ、この人が尺八を吹くの”といった印象を受けるが、それがなかなかどうして肚がすわっているというか、どんなときも物事に動じず堂々としている。学生の頃から練習よりも本番に強く、その意味においては実に演奏家向きの性格だと言えよう。大学を卒業と同時にレッスンに来れなくなったため私が惜しんでいたら、何年か経ってまた戻ってきた。それも会社を辞しNHK邦楽技能者育成会に入る、というプランを持ってである。育成会には目出度く一発で合格し、そこで一年間鍛えられて卒業、現在は京都を基盤に彼女なりの演奏活動と尺八の啓蒙活動を行なっている。彼女には、特に女性や子供に尺八を紹介する役割を担って欲しいと期待しているので、そのようなビジョンをお持ちの方はご連絡をお願いする次第である。
色々なところに気がつき、面倒見の良い〈石の会の婦人部長〉といったところであろうか。
続いては、優秀な若手尺八奏者が犇めく東京において、確固たるポジションを築きつつある小濱明人君である。彼は“松浩”と“岩”の同志社大学の二年後輩で、やはり学生時代に初めて私のところにやって来た。
当時はビッグバンドと邦楽の二つのサークルに属していて、いつも「いや〜、忙しいですね〜」と言いながら稽古場に通って来ていた。この口癖は今も変わらず、話をする度に「いや〜」と言っている。それはさておき、私が感服するのは関西から何のバックボーンも持たずに上京し、数年で周りから認められるようになったことである。育成会を卒業した直後には“尺八新人王決定戦”で優勝するという快挙を成し遂げ、また、その頃から自作曲を中心としたライブ活動も開始し現在もなお継続中である。作曲も多く、また、民謡やヴォイスなど彼独自の切り口で音楽と向き合いますます活躍の場を拡げ、近年では、私も驚くようなキャリアのミュージシャンに可愛がられて(もちろん実力を認められて、である)一緒に仕事をさせていただいている。もっともっとビッグになってもらって、私にお小遣いをくれる日が来ることを心より期待している(もちろん・・・マジっす)。“ちょっとおもしろい尺八を聴いてみたいわ”という方はぜひライブへのお運びをおすすめする次第である。男女の性差を越えた〈石の会の年上キラー〉である。
もう1人忘れてはならないのが〈石の会のアナウンサー(そのままやないか!)〉安田知博君である。彼は尺八界でももはや有名人であるが、もっと有名なのはアナウンスの世界である。試しに“安田知博”でググッていただくと890件ものヒットがあり、その総数のみならず放送関連の内容の数の多さからもその知名度がうかがい知れる。高校生の時には全国高校生放送コンテストで3連覇という偉業(門外漢の私でも、とんでもなく凄いらしい、というのはわかる)を成し遂げ、現在は“放送部インストラクター”として全国を股にかけ活躍している。
尺八および笛は10歳より始めたそうである。たまたま(かどうかは知らないが)入った大学が私と同じで、クラブでも先輩、後輩の間柄であったため、私が修めた古典本曲を伝授してはいるが、はっきり言って彼のほうが私の数倍は上手い。音の扱いや耳の良さなどは石の会随一である。全国邦楽コンクールの優秀賞を二度獲得するほか、数多の受賞歴を持ち、現在は『おとぎ』という和楽器のバンドやソロ活動で忙しくしている。“最近いいものを聴いていないわねぇ”という皆様には、安田君の“多くの女性を虜にした”美声と、流麗な尺八演奏をご一聴いただきたくここにお願いする次第である。
そして第二弾の“トリ”として谷 保範君を紹介したい。谷君は“今どきこんな青年がいるのか”と驚くくらい爽やかでシュッとした(関西弁?)青年である。彼は谷 泉山師の長男、後継として既に関西ではよく知られた存在であり、また、所属する上田流尺八道においては、流の明日を担うホープとして嘱望されている。私のところへは会友として古典本曲の勉強に来ている。ここ数年の充実度は目覚しく、いよいよ彼の時代を迎えようとしているといっても過言ではない。この5月18日に行なわれた「第14回くまもと全国邦楽コンクール」に於いては優秀賞を獲得するという殊勲をやってのけた。初参加で尺八部門1位、優秀賞獲得とは立派の一語である。私の知らないところでも多くの演奏の場があるようなので“シュッとした尺八吹きを見てみたいわねぇ”という皆様には演奏会へのお運びをおすすめする次第である。私からは〈石の会の監査役〉として、これからも末長いお付合いをお願いしたい。
前回、今回と4名ずつ、計8名の若手を紹介させていただいた。皆それぞれにがんばって勉強、修練を重ねている。尺八は今のところ『絶滅危惧種』とまではいかないが、全体で見ると結構ヤバイ状況だったりする。そこで、尺八界の将来を担う若手に対しては、皆様のより一層のご指導、ご鞭撻をお願いする次第である。若いから、ちょっと吹けるからといって褒めるばかりでなく、ダメなところはダメと厳しく指摘してやっていただきたい。
さて、先述の『赤めだか』において私の心情とフィットするくだりがあったので、禁を破ってその部分だけ紹介させていただく。談春らが二つ目に昇格披露した際の師匠・談志の祝辞である。
「落語家は伝統を語っていかなければいけません。当人の段階に応じた伝統を、落語を語ってゆく。そしてウケる根多を作ってゆく、それをこれからやってゆくのです。そして、最後には己の人生と己の語る作品がどこでフィットするか、この問題にぶつかってくると思います。〔ちょいと略〕
問題は古典落語が一般的にあまりポピュラーではないということです。落語さえ上手ければ何とかなるという時代ではない。だからこそやり甲斐があるのです。落語に己の人生をフィットさせて、俺がつくった夢金だ、大工調べだと云えるようになってほしい。落語はもはや伝統ではありません。個人です。演者そのものを観に来る時代になっているのです。」
この文中の「落語」を「尺八」に置き換えると見事に私から若手へのエールになる。伝統を土台にし、それぞれ“本人”の尺八を、演奏を作り上げていって欲しい。みんながんばろう。もちろん私もがんばる(何か熱血教師みたいになってきた)。
今回の稿の完成が遅れてしまったのは、5月18日の「くまもと全国邦楽コンクール」の結果待ちのためであった。出場メンバーの顔ぶれを知り、谷君なら充分に戦えると予想した私はその結果を聞いてから今号を纏めようと考えていたのである。
私の予想は見事に当たった。待った甲斐があったというもんである。
えっ、それにしては発表からずいぶん日が経っているじゃないかって・・・・
いや、あの、それは・・・・
“いっろいろあらあなぁ”
「松の事は松に習え、竹の事は竹に習え」
(2008-4-19)
それにしてもまた松本である〈門人紹介〉。私はよほど“松本さん”とご縁があるらしい。
ありがたいことに、私のところへは“尺八に関わって生きていきたい”と熱望する若者が少なからずやってくるのであるが、今のところその2人に1人は“松本”という姓である。尺八のプロを目指す若手、というだけでもイマドキ珍しいのに、20代後半から30代前半の7つか8つの年齢の間によくもまあ“松本さん”が集まったものである。
せっかくなのでその4人の松本さんを紹介させていただくことにする(なお、松本さん以外の若手の紹介は次号を予定している)。
入門順でいくと、一番古いのが松本“浩和”君である。今年35歳になる彼が私のところにやってきたのは大学生の頃であったので、もうかれこれ15年位のつきあいになる。とにかく音楽全般に関して博識で造詣が深く、一時は本気で音楽評論への道を志していたこともあったらしい。その彼が今はプロの製管士としてやっているのだから人の人生というものはわからないものである。凝り性で、尺八制作においても弟子入りしていた師匠の方向からは離れて「十割り尺八」を中心に作っているイマドキ珍しい存在である。また、本曲、古曲をメインに吹奏力を高めることにも余念がない。かなりマニア向けではあるが、響きの良い面白い尺八を作っているので興味を持たれた方は連絡をお願いする次第である。現在は関東に居住して制作を行ない、月1回出身地の大阪府堺市でも作品試奏や情報交換の場を持っている。次に登場する“太郎”君をして「こんなに頑固な人間はいままで見たことがない」と言わしめた。〈石の会のザ・こだわりスト〉といったところであろうか。
その“浩和”君が学生で出演していた第1回の『石川利光尺八教室夏の演奏会』(1996年)を聴きに来ていたのが松本“太郎”君である。彼は高校の途中から単身オーストラリアに渡り、そこで尺八に出会う。現在、オーストラリア尺八界のみならず海外の尺八界において中心的な役割を担うリー・ライリー師との出会いが彼の運命を変えた。進んでいた大学を中退し、尺八を本格的に勉強するために日本に帰国。入門先を探している時に大阪にて私の門人会を聴き、即入門と相成った。いわば尺八界の〈ノブ・ハヤシ〉である(・・・K-1ファン以外はわかりまへんね。ごめんなさい)。
〈石の会の野生爆弾〉と呼ばれている(あれっ、そう呼んでいるのは私だけ?)彼は、野性味溢れる型破りな音と演奏が持ち味であり、その“野趣を損なわずに整えるべきところをいかに整えていくか”ということが、本人と私双方の課題である。一部で熱狂的なファンを獲得したバンド『沙弥音』を経て現在はジャズピアニスト、ロジェ・ワルッヒさんとのユニット、および尺八本曲を中心に活動を展開している。また最近はジャズボーカルの黒岩静枝さんのライブにもよく出演させていただいている。他ではなかなか聴くことの出来ない音を吐き出す尺八吹きなので興味を持たれた方はライブへのお運びをお願いする次第である。
3人目の松本君は今回〈門人紹介〉に登場した松本“宏平”君である。学生時代には都山流尺八を学び、その後私のところへやってきた。大学を出てサラリーマンをしていたが、熱が高じてついに退職、この3月にNHK邦楽技能者育成会を卒業した。
彼は京大卒というだけあって、その集中力がハンパではなく、ここぞという時に爆発的な力を発揮する。サラリーマン時代に出場した熊本の『全国邦楽コンクール』においては初参加で並居るプロや藝大卒などを押さえて最優秀賞を獲るという快挙を成し遂げ、また、NHKの育成会も募集の告知を締め切り数日前に見て受験し、見事に合格したという強者である。現在は練習に明け暮れながらこれからの方向を模索している。〈石の会の頭脳〉となってくれることを期待してはいるが、若手飽和状態の東京の尺八奏者の中で独自のポジションを見つけて羽ばたいて欲しいと切に願う。古典本曲に加え、他ジャンルとのコラボレーションや即興演奏に惹かれているそうなので興味を持たれた方はご支援をお願いする次第である。
そしていよいよ4人目は〈石の会のkanaiya〉松本“学(まなぶ)”君である。変わり者が多い石の会の若手の中でも一際異彩を放っているのが彼である。17歳頃からインド、タイ、屋久島、中国、チベット、ネパールなどを旅し、その間に出会った各地の笛および笛の作り方を習ってきたとのこと。また、“学”君は出身地の福岡でも、地元の一朝軒(いっちょうけん)に入門し法竹(ほっちく)を学んでいる。おそるべきはその行動力であり、それがそのまま現在の生活に結びついていることは見事という他はない。バンスリー、しの笛、地なし尺八・法竹の制作に加え、最近は竹製の箸や麻製品も作っている。ただ、本人の真面目さも手伝ってあまり高い値段をつけられないようである。私自身あまり協力出来ていないのが心苦しいが、何とか販売のほうも軌道に乗ってほしいと願う。興味を持たれたご覧の皆様にはご本人様使用でのお買い上げ、および販路のご紹介をお願いする次第である。
4人の“松本”君はそれぞれに目指す方向は違うが、敢えて妥協せずに生きる道を模索しているところが皆素晴らしい。私も微力ながら出来るかぎりの後押しをしたい。
ところで、私自身脱サラして尺八の世界に入ってからこの3月で丸15年が過ぎた。よくこの年月持続できたものである。皆様のお導き、お力添えに深甚の感謝を申し上げるより他はない。演奏家を目指しプロへの道を歩き出したが、幸いに教室に入門する人も増え、はっきりした数字はわからないがその数は100人を超えたようである。(この無責任な書き方は私が〈去るものは追わず〉〈出入りは極力自由に〉というポリシーだからである。習得したい曲を習得し終え自分で出来ると判断された方、他へ習いに行きたい方などは私から引き止めることはしない。)
以前は口コミによる入門が大半で、それ以外は実際に演奏を聴いていただいて来られるケースが多かったが、近年は圧倒的にインターネット経由である。私は尺八家の中でもインターネットの恩恵をかなり享受している人間だと思う。ただ、この便利なシステムの拡がりは良い面ばかりではなく、人をルーズ(またはイージー)にしてしまう面も併せ持っている。気分が乗ったから突発的に連絡を寄こし、その内に気が無くなったからと簡単にキャンセルするケースや、また、自分の素性を明かさずに一方的に自分の用件だけを言ってくる人も少なくない。近頃では個人レッスンを受けにくる人にさえ連絡先を教えたがらない人がいる。私は何でもかんでも売りつけようとしたり、その方の情報を利用しようとしたりするつもりは毛頭ないのである。それでも、例えば次のレッスンまで間隔が空いてしまうので私が「次の楽譜をお送りしますので送り先を教えてください」とたずねても「いえ、次のレッスン時で結構です」などと連絡先を隠そうとされる。
私は、わざわざ来てくれた人に対しては最善の方法で、その方のために役立つであろうことをお伝えしているつもりであるし、人によって分け隔てをしないよう常に心がけているつもりである。しかし、そのご本人から“都合のよいところだけ習おう”という空気が見え隠れしてしまうと、こちら側の志気に影響が出るのは仕方の無いことだと思う。
今回のタイトルは松尾芭蕉が記したものであるが、実に含蓄のある言葉である。「竹のことは竹に習え」“その気持ちになって考えるべし”という教えである。人がこちらの意図するにならないことは自分自身の修行不足、実力不足である。
“松”に限らず、縁あってお会いする人に皆よろこんでもらえるような“石”に私はなりたい。
「石の上にも三十年」
(2008-3-15)
「人生の半分を生きてこれから後半にさしかかると思うと、好きでないことには、もう関わっていたくない、とつくづく思う。それは善悪とも道徳とも、まったく別の思いであった。一分でも一時間でも、きれいなこと、感動できること、尊敬と驚きをもって見られること、そして何より好きなことに関わっていたい。人を、恐れたり、醜いと感じたり、時には蔑みたくなるような思いで、自分の人生を使いたくはない。この風の中にいるように、いつも素直に、しなやかに、時間の経過の中に、深く怨むことなく、生きて行きたい。」
以上、今月の「石と竹」は終わり!・・・・・・・・というのは真っ赤な嘘である。私の想いをドンピシャリ(?)と言い表したこの文章は、私が傾倒する曽野綾子さんのものである(『燃えさかる薪』より)。
うーん。一度でいいから私もこのようなキリッとした言の葉を綴ってみたいものである。
そこで、思い立ったが何とかでちょいと私も挑戦してみることにする。
「私はとおねんとって三十七歳である(嘘かますなオッサン!〈陰の声〉)。・・・いや、だから、十年取ると三十七歳であーる(何をしょうもない化石みたいなギャグを言うとんねん!)。・・・では、気を取り直して。えへん、私は四十七歳である(それがどうしたー)。だからあと三年で五十歳になってしまうのである(何あたりまえのことを言うとんねん、引っ込めー!)。でも、四捨五入すると二年前から既に五十歳である(面白くないわよ、引っ込みなさいよ!)・・・えっ、女の人も増えた?」
という訳で、すごすごと退場処分になってしまうのが関の山である。
早いもので、十八歳で始めた尺八が今年で三十年になろうとしている。超長く見積ってあと三十年吹けるか吹けないかであるから、人生のみならず尺八とのつきあいも折り返しを過ぎ、後半に入ったと言えるであろう。
「三十年近く吹いてそれかい」と突っ込まれてしまうような全く恥ずかしいかぎりの吹奏力しか持てていないが、それはさておき、私は演奏に臨む時、その“音楽”はちゃんと“尺八”でなされているのか、ということを自分に問い質している。
「あんさんのその楽器は尺八でなくて何でんねん」とまたまた突っ込まれかねないが、私は“尺八”でなければ出せない音色、表現に拘りたいと常々考えている。私にとっての“尺八”とは、乱暴な言い表し方になることを省みずにいうと、“ロ(ろ)はロの音、ツはツの音、レはレの音、チはチの音、リ・ヒ(ハ)はリ・ヒの音がして、また、メリはメリ、大メリは大メリで、それぞれが他に代えることの出来ない音と韻を持った竹の笛”である。出しやすい音や比較的音量のある音と、そうでない音がある以上、それを繋ぐとデコボコになるのは当然であるし、そこをいかに美しく表すか、というところに尺八の最大の魅力と価値があると私は思う。
私にとっての“尺八”とは、「カリ(通常)音とメリ音」のいわば「光と影」のコントラストによって音を紡いでいく“楽の器”なのである。
(ちょっと脱線すると、特に東京を中心として優秀な若手尺八吹きがたくさんいて喜ばしいことなのであるが、おおかたの人たちはこの“影”の部分への意識が薄く、“光”ばかりを強調しているように見えて、その音量とは逆に物足りなさを感じてしまうことが多い。ほんとうに魅力があって、また、難しいのは“影の部分”なのに・・・と思ってしまう。ツのメリ〈半音〉の音量が出にくいからといって何でもかんでもロ(ろ)をカってバーバー吹きゃあいいってもんではないと思うんである。おっとこれは「石の独り言」)
私はまず、自分が理想とする“尺八”の音を追求し、その上で真摯に「楽譜」「楽曲」に取り組み“音楽”をしたいと考えている。
そして、その意味において現在のところ、私が求める“尺八”の“音楽”としては「古典本曲」に勝るものはない。もちろん近代・現代作品にも良くできたものも少なくないが、それらを演奏するたびにあらためて「古典本曲」の素晴らしさを再認識することに帰結する。長い年月を経て吹かれ、文字どおり風雪に耐え、現在まで残ってきた曲にはそれぞれに独自のバイブレーション(波動)が宿っているよう感じる。
さて、去る2月24日、告知させていただいていた門人会「石の会・独奏会」がおこなわれた。内輪褒めになってしまい恥ずかしいかぎりであるが、熱演、好演が続く聴きごたえのある演奏会になった。皆それぞれに自分の音を出している、また、出そうとしているところが素晴らしい。
熱演の数々をを聴きながら私は、昨夏、岡山・美星で開催された国際尺八フェスティバルでの菅原組(別に危なっかしい集まりやおまへん)の皆さんのコンサートを思い出していた。菅原組とは、私が尊敬し、またお世話になっている菅原久仁義さんのご門下の皆さんの集まりである。その演奏レベルの高さと、菅原さんが実践しておられる吹き方をそれぞれが実に上手く修得されていること、また菅原さんへの尊敬や憧憬などが演奏の端々に表れていることに感嘆したのであるが、今回の「石の会・独奏会」においては、特に若手のプロを中心として誰一人として私に近似した人はいなかった。私はこのことに得がたい悦びをおぼえた。私は金子みすず女史ではないが、“みんなちがってみんないい”と考えるからである。尺八はやはり基本的に独奏楽器であり、本音を吐き出す器であることを嬉しさの中で強く実感した。プロとしてがんばっている人から、まだ始めて日が浅い人まで、私など到底出し得ない音をたくさん聴くことができ、大満足のひとときであった。(気が早いが、次回の門人会「石の会・夏の演奏会」は8月17日(日)におこなわれる。これをご覧の皆様には是非ともご来聴をお願い申し上げる次第である。→8月24日(日)に日程変更になりました。)
私は、尺八人生の残り半分の多くの時間を、私にとっての“尺八”を吹き、「古典本曲」をもっともっと掘り下げることに費やしたい。そしてそれを可能なかぎり次の世代に伝えていきたい(とは言いましても“石川は「古典本曲」しか吹かない”というわけではありませんので皆様よろしくね)。
感動できること、そして何より好きなことに関わっていられ、幸せというほかはない。
「心氣一転」
(2008-2-15)
遼くんがプロになった。
といっても誰のことだかわからない方がいらっしゃるかもしれない。遼くんとは、今をときめくプロゴルフ界の新星、石川遼選手のことである。何を隠そう、石川遼くんと私とは・・・・・・・・・・・・遼くんと私とは・・・・・・・・・・・・・・・・・赤の他人である(バゴーン!・・・失礼しました)。
私は、石川遼選手が高校生ながらプロのトーナメントで優勝しちゃって以来、陰ながら応援しているのであるが、それはたまたま“石川”つながりだったからという訳ではない。日々配信される記事やコメントを通じて彼が、私の座右の銘とする「謙虚に、素直に」を絵に描いたような人物であることがうかがい知れるからである。
私が高校生の頃は間違いなくもっとひねくれていた。学校のある日は授業が終わると大阪O将の餃子を食ってから図書館の自習室に通って受験勉強のふりをし、休日はロックを聴くかプロレスの真似事をして(参考までに当時のリングネームはキム・ヤト、衣装は膝までの黒タイツに下駄というスタイルでちょいヒール役でした・・・誰が参考にすんねん)、少々傾きながら生きていた。一人前に扱ってほしいくせにまだ社会には出たくなくて、高校生という鎧を身に着けて自分をがっちりガードしていた。
それにひきかえ、当時よりももっとギスギスした今の世の中にあって、遼くんのあの爽やかさはどこからくるのだろう、とずっと疑問に思っていたが、ある雑誌(文藝春秋2月号)に載っていた父親のインタビューを読んで腑に落ちた。彼の謙虚で素直な性格と、ゴルフに対する姿勢の礎を形成しているのは紛れもなく家庭環境であり、親の教育であった。この父なくして遼くんは存在しえないと言っても過言ではない。私自身も一人の父親として、また、私の場合は尺八であるが指導させていただく立場にある者として、教育の重要さ、大事さをあらためて痛感した。
ともあれ、高校生活を送りながらプロのゴルフトーナメントに通年で参加するということは、大変に過酷なスケジュールを要求されることであろう。また、早くも大手企業のスポンサーがつき、それはそれで目出度いことながら、反面プレッシャーになることは想像に難くない。プロ宣言をした翌日にはハワイ入りし、早速プロゴルファーとしての活動を開始したとのこと。石川遼プロの大成を期待すると同時に、周りの関係者や報道陣には、このまさしく“金の卵”に対し、期待や取材が過剰になりすぎぬよう配慮ある対応を願うばかりである。
石川遼プロのニュースを日々楽しみに見ていて、“若いもんにゃまだまだ負けられん。自分もがんばらねば、フンッ”と息巻いていたら、同じスポーツニュースの項に腰が砕けそうな記事が出ていた。「まだまだ成長、『やれる』66歳法華津、44年ぶりの大舞台に意欲十分=馬術」。なんと66歳の方が日本史上最年長で北京五輪の代表に確定したとのことである。その法華津(ほけつ)寛選手の経歴がこれまた凄まじい。44年前の東京五輪(障害飛越で出場)に初出場され、その時は個人40位、団体12位。1984年のロス五輪(ここから馬場馬術で出場)は補欠(シャレやおまへん)。その4年後のソウル五輪では代表に選ばれながら馬が検疫に引っかかり出場できず(こんなこともあるんですね)、今回も馬インフルエンザの影響で五輪予選が延期になるアクシデントがあったにもかかわらず、それでも「成り行きで来ている」と前向きな姿勢を貫き、代表の切符を勝ち取られたとのこと。はからずも、私自身も法華津選手と同じ66歳までは現役を続ける意志を持っているので、このニュースには驚くと同時に大いなる勇気をいただいた。しっかしまあ、世の中にはスゴイ人がいくらでもいらっしゃるものである(ちなみに、オリンピックの最高齢選手は1920年アントワープ五輪の射撃に72歳で出場したスウェーデンのオスカル・スワーン選手で、同選手は当時あった種目、ランニングディア(ダブルショット)の団体で銀メダル獲得とのこと・・・豆知識だよっ)。
さて、2月24日は「石の会独奏会」が行なわれる(詳細はトップページ)。今回は24名の出演者中、半数の12名が大学生から30代半ばと、「大若手本曲大会(だいわかてほんきょくたいかい、と読んでくださいね)」になった。皆それぞれに刺激を受けて切磋琢磨しており、一年前と比べてどのように変わっているかがとても楽しみである。他の年齢層は40代が私だけで(とほほ)、50代、60代の方がたくさん、おそらく72歳くらいの人が最高齢、の見事な“砂時計”型の年齢構成である。若手の奮闘も楽しみであるが、人生経験が音に込められたヴェテランの演奏もまた聴き逃すことができない。『いやあっ、尺八ってホンットにいいですねっ(誰じゃ)』という会になること間違いなしなので、ご都合のつく皆様には是非ともご来聴をおすすめする次第である(たいしたおもてなしはできませんが、アメちゃんぐらいはご用意いたします)。
なお、私事であるが、今春より新大阪に稽古場と仕事場を設け、ここを発信拠点とすることにした。微力ながら、尺八が多くの人の心に根ざすよう尽力していきたい。66歳まであと19年、まだまだ先は長い。遼くんや法華津選手の活躍を応援しながら利光くんもがんばる所存である。
「喉元過ぎれば寒さ忘れる」
(2008-1-15)
2008年1月1日0時00分。私は紋付袴の装束をつけ、とある天神さんの境内に立っていた。二日前からの寒波のため気温は2℃から上がらず吐く息が白い。すでに初詣を待ちわびる人たちが拝殿へ向けて長い列を作っている。私は初詣、ではなく今年の初仕事で、そのお参りの方々のためのアトラクション演奏であった。
前年に引き続き2回目の演奏である今年は、代表役員の方から「何かテーマとストーリーを設けて演奏してください」と前もって頼まれていた。そこで、『日本の四季と詩情を謳う』というタイトルをつけ、唱歌やよく知られている歌謡曲など17曲を選んだ。ご参考までに全曲目を列記すると「お正月」「春が来た」「さくらさくら」「浜辺の歌」「北国の春」「朧月夜」「昴」「うみ」「知床旅情」「赤とんぼ」「虫の声」「里の秋」「もみじ」「川の流れのように」「冬景色」「ふるさと」「一月一日」そしてアンコール曲として「千の風になって」であった(誰が何の参考にすんねん、という声もありますが・・・)。昨年の経験から譜面台が置けず暗譜だとわかっていたため、少々心もとない「一月一日」と「千の風になって」の2曲を大晦日の掃除の合間を縫って浚い、全曲名を忘れないよう出番直前に手のひらに書いて臨んだ。
吹き始めると予想以上の寒さで、一瞬にして手先の感覚も思考回路もほとんど停止寸前の状態である。また、皆様に見られている手前カンニングもできず、曲の終わり頃になると“えーっと次は何の曲やったかいな、あっ「知床旅情」ね、始まりはレでレーリーツ中ーレーはいはいOK”と凍えそうな頭と手で自転車操業(?)をし、ほうほうの体で何とか破綻することなく終曲までたどり着いた。その間一度も尺八をアゴから外さなかった、というよりも外せなかったのと、ほとんど固まった状態で指先だけ動かしていたので、途中から見てくださった人には「尺八らしき音が延々と流れてくる紋付を着て尺八を持ったおっさんの人形」のように見えたであろうことは想像に難くない。ともあれ、依頼されていた30分ぴったりで吹き終わり、熱心に聴いてくださった皆様からたくさんの拍手をいただいて目出度く2008年の初仕事が終了した。
その後控室に戻り、かじかむ手でそそくさと着物をしまい、逃げるようにして駅に向かった。終夜運転の電車に飛び乗ったのが0時54分。吹き終わり、着替えてから天神さんを飛び出し徒歩5分の距離を経て電車に乗るまで何と19分、私とは思えない素早さであった(やれば出来るやないの)。
こうしてなかなか厳しい初仕事を終えた後は、特に新年の他の仕事はなかったため、ゆったりと正月を寿ぎ、再び音との闘いを開始した。今年の自分の音に対する目標は“音のスピードを上げる”である。昨年末に横山先生と会食させていただく機会があり、その際に去年の私のリサイタルの録音を聴いてくださっていた先生から“音のスピードが足りない”というアドヴァイスを頂戴していた。特に長管においてその不足を自覚している私は、弛まないように今年の手帳の頭に「音のスピード!」と書き込み、また日々ブーブー(実際はローロー)やり始めた。
その甲斐あってか、これを書いている現在はまだ二週間ほどではあるが、音にスピードを持たせ、負荷をかけて吹き続けると、これまでより少しマシな音が出るようになってきたように思う(実際には“少しマシな音が出るような気配が感じられる気分がちょこっとだけするんじゃないかな、たぶん・・・”ぐらいである)。気が緩み、少しでもサボってしまうと、とたんに情けない音に逆戻りする悔しい思いは幾度となく味わってきた。年頭の“寒仕事”の厳しさも忘れず、何とか今年一年この意識を持続させたい。
さて、音以外の今年の目標は「環境改善」である。稽古場の環境、特に若手の門人が活動するための環境、自身が発信するための環境などなど、5年、10年、20年後を見据え、環境づくりに力を入れたいと考えている。昨年は諸事情により新しいことに手をつけることが殆ど出来なかったが、今年は新しいコンテンツを増やすためのアクションを起こしたい(何のこっちゃわからないと思いますがぼちぼちと明らかになって参ります)。
ほんなら今年もよろしゅうおたのもうします(なんで京都弁やねん!)。
【付録】元日に近所の神社でいただいた御神籤より。
巻頭の一首:ゆきくれて まよえる野辺の ほそみちに さやけき 月のかげは さしけり(何か光が見えるっつうことですよね)
その下にある啓示:目上の人のひきたてにより思いがけぬ幸福があります(ヨッシャー!)
心を引き立て奮発して一心につとめなさい(ハイッ、わっかりましたっ!)
けれどあまり勢にまかせて心におごり生ずると災あり(へい、承知しやした)
運勢:吉(よしっ!)。今年もやりまっせー!
「志生夢叶」
(2007-12-25)
私は子供の頃からプロレス、ボクシング、キックボクシングなどの格闘技ファンであった。しかし、大相撲はそれほど好きではなかった。はっきりした理由などはなかったが、四角いリングの上で鍛え上げられた肉体を鼓舞して戦うレスラーやボクサーに比べ、まーるい土俵の上で太ったおじさんたちが肌を合わせて戦う相撲は“何やもっさりしているなあ”と感じていたように思う。
そんな私が大相撲を興味深く観るようになったのは“舞の海”関が登場してからであった。突進してくる相手をひらりとかわし、土俵の外に追いやる舞の海の勇姿は、プロレス界に衝撃を与えた初代タイガーマスク(佐山サトル)に通ずるカッコよさがあり、私は初めておすもうさんのファンになった。「現代の牛若丸」「技のデパート」などど呼ばれ、小兵ながら自分よりもはるかに巨漢の力士を手玉に取る姿を見て、尺八界において小兵である私はずいぶん励まされたものである(と言っても“別に・・・”気にしたり悩んだりしている訳じゃあーりませんが)。
さて、2007年の角界は激震続きの一年であった。横綱の仮病騒ぎから、新弟子の“かわいがり”による死亡など、ダーティな印象がつきまとい、大ファンでない私にとっても残念な年であった。
そんなある日、私はインターネットのスポーツニュースの「現役最年長力士引退」という一項目になぜか目を奪われた。引き寄せられるようにして記事に見入った私は驚いた。その“一ノ矢”という四股名の現役最年長力士は私と同い年で、しかも生まれた日も10日ほどしか離れていなかったからである。
横綱“朝青龍”関を擁する高砂部屋でマネージャーも兼務する“一ノ矢”関はパソコンにも精通し、自身の経歴もいろいろなところで書かれている。
簡単に記しておくと、鹿児島の徳之島で育った松田少年(“一ノ矢”関の本名)は子供の頃から大相撲に憧れたが、中学、高校には相撲部が存在せず柔道部に在籍していた。しかし、やはり相撲の方が好きだったため大学では相撲部に入ろうとした。経済的事情から国立大学しか許されない(と本人が記す)松田少年は、「相撲部がなければ作ればいいや」と思い琉球大学に入学。その琉球大学で実際に相撲部を立ち上げ、学校側にも正式にクラブとして認めてもらい、1982年の西日本選手権では2部リーグながら団体3位、個人で準優勝という成績をあげた。大学3年の夏に「力士になる」ことを決心した松田少年は卒研発表の直後から相撲部屋へのリクルート活動を開始し、背の低さを理由に数々の部屋から門前払いを受けたにもかかわらず粘り強さを発揮、ついに若松部屋へ入門を許される。新弟子検査合格の経緯は定かではないが、昭和58年11月場所で念願の初土俵を踏み、以来24年間現役力士として活躍した。通算成績は484勝518敗6休、通算在位145場所、序二段優勝が2回、最高位三段目6枚目、とのことである。
体力もさることながら、おそるべきはその精神力である。番付至上主義の角界は年齢よりも番付の高い低いで全ての処遇が決まる世界である。その世界で序二段、三段目を行き来しながら24年間も相撲をとり続けたことに驚嘆してしまう。
新聞の取材に“一ノ矢”関はこう答えている。「相撲を知れば知る程、深くなっていく。もっと相撲を知りたくなるし、面白さも増していく。」「相撲は現在まで理論的な研究がなされてないんです。科学的なデータもほとんどない。研究資料をこれから作っていかないと。相撲は身体運動としてレベルの高い日本の文化です。ちゃんとした資料を残さないとそれが衰退していく可能性がある。そのためにも、大学時代に勉強した物理学も生かしながら理論を残していきたい。それが、私のライフワークになるでしょうね。」「年をとるということに関して、寂しさはあるけど、挑戦する楽しみもあるんです。相撲を続ければ、武道と本質は同じだと感じ取れるのではないかと思います。」「横綱から、私のような人までいろんな人がいるから大相撲は面白いんです。うっとうしいことも多いけど、それもひっくるめて相撲の世界が大好きなんですよ。」(「九州日刊スポーツ」の記事より)
“一ノ矢”関の土俵での勇姿を見ることができなかったことは残念至極であるが、こんな同級生(?)が存在することに感慨を覚えると同時にたいへんな勇気をもらった。
昔は“夢”は叶えるためにあった。今は“夢”と“現実”は別のものになっている気がしてならない。小学生への質問でつきたい職業に「公務員」などとあったりすると意味も無く腹立たしくなる。もうちょっとワクワクするようなことにあこがれろよ、と思ってしまう。私の子供の頃の夢は当時の小学生で圧倒的な人気を誇った「野球選手」だった。その夢は中学一年で破れさってしまったけれど、何かに憧れる心は常に持ち続けていたように思う。
私は現在尺八で生計を立てている。これは18歳で突然始めたことであるし、32歳までサラリーマンをしていたので、私は一ノ矢関ほどに強い信念と夢を持ち尺八の世界に入った訳では決してない。しかし、好きなことで生きられているというのは何にも替え難い喜びである。
一ノ矢関は今後、高砂部屋のマネージャーとして陰から相撲界を支えていかれるそうである。私はまだまだ現役である、というかこれからが本当の勝負であり、尺八人生である。私もまた、人を勇気づけ、元気と夢を与える尺八家を目指し、精進を重ねていきたい。
今年も一年ありがとうございました。
あと書き:タイトルの「志生夢叶」は四字熟語ではなく“芋焼酎”の銘柄である。「志を持って生きて行けば夢は必ず叶う」と宣伝文句にあり、私の心持ちとピッタリくるので人にプレゼントしたことはあるがまだ自分では飲んだことがない。一度試してみたいなぁ、と考えている今日この頃である。ある日突然届いたら嬉しいだろうなぁ。(石の独り言)
「石が流れて木の葉が沈む」
2007年11月24日
【TOMIの日記】
2007年10月29日 きょうははじめて尺八のコンサートにいきました。いしかわさんというおじさんだかおじいさんだかよくわからない人のリサイタルでした。尺八ってどんな人が聴きにくるかわからなくてちょっとドキドキしたけど、そんなにこわい人はいなくて安心しました。
最初の曲は「とうせい」という曲でいしかわさんと大きな男の人が出てきました。大きな人はちっちゃい太鼓のようなものをかかえていました。尺八のフーウーーーという長い音が出たかと思ったら太鼓のポンという音のあとに「イヤーーー」という大きな人のスゴイ声がしてビックリしました。そのあとは尺八の人が一生けんめいに吹いたり、太鼓のようなものがポンポンポンポンポンッといっぱい鳴ったりして耳がビリビリしました。はげしい部分から静かになって、もう終わるかと思っていたらなかなか終わらなくて、目をつむって吹いているいしかわさんが曲を忘れたのか、それとも途中でねむってしまったのかよくわかりませんでした。これは今もまだわからないので今度いしかわさんに会ったらきいてみようと思っています。
次の曲は「秋のしらべ」というわかりやすい曲名がついていました。着物を着たおじさんが出てきておことの前に座ったのでびっくりしました。男の人がおことを弾くなんて想像つきませんでした。一緒に出てきた紅いドレスを着たキレイな女の人はお店の人かと思っていたら歌手の人でした。ものすごく高い声でした。そんなに高い声を出して血管が切れないかと心配したけど曲が終わってニコニコして戻っていかれたので安心しました。尺八のいしかわさんも吹いていたように記憶しています。
3曲目はプログラムを見ても読めない曲名でした。何と読むのだろうとあれこれ考えていたらアナウンスの人がいい声で「びょう」と教えてくれました。譜面台が六つも並んだので六人の人が出てくるんだろう、と思っていたら出てきたのはいしかわさんだけでした。一番左の譜面から順番に吹いて一番右までいったら最後は真ん中に戻って曲が終わりました。尺八のいろんな音が聴けてよかったと思いました。お客さんの拍手も大きかったです。動きながら吹くことがあるのも初めて知りましたが、隣のおじさんが“いしかわさんはじっとして吹いているより歩きながら吹くほうがいきいきしている”と教えてくれました。ふーんそうなんだ、と思いました。
休憩の間にステージで工事が始まりました。おじさんやかっこいいおにいちゃんたちが木の箱や板を持ってきてあっという間に舞台が出来ました。赤い布をのせるといっぺんで和風になりました。終わったらまたこわしてしまうのかと思ったらちょっと悲しくなりました。
休憩のあとはいしかわさんが出てきて一人で尺八を吹きました。さいしょの「とうせい」とおんなじ長い尺八でした。正座して目をつむって吹いている姿はお坊さんのように見えました。“いしかわさんが吹いた「たきおち」という曲は、昔こむそうさんというお坊さんのような人たちが吹いた曲なんだよ”と、また隣のおじさんが教えてくれて“やったー私もやるじゃん”とうれしくなりました。
次の曲はさっきのおことのおじさんと着物を着た若い女の人といしかわさんの3人が出てきました。おことのおじさんはこんどは三味線を持って真ん中に座りました。その左がわにおことが置かれこんどはおねえさんがその前にすわりました。いしかわさんは右がわのはしっこにちょこんとすわりました。また動いて吹いたら今度は舞台から落ちちゃうよーと心配になったけれど、落ちるところを見てみたい気もちょっぴりしました(でもけっきょく落ちませんでした)。真ん中のおじさんがいきなり声を出してすぐに3人が楽器を弾きだしました。合っているのか合っていないのかよくわかりませんでした。でも客席の人が目をつむっていたり、うんうんとうなずきながら聴いているのを見て“あぁ合っているんだ”と思いました。「あおやぎ」という曲で江戸時代にできた曲だそうです。ずーーーっと3人で弾いていていつ終わるのか、きょう電車で帰れるのかまたまた心配になりました。自分には一時間ぐらいに感じましたが終わって時計を見ると23分でした。3人の人が譜面を見ないで弾いていて記憶力を試しているように私には思えました。最後に尺八がふーーと吹き、おことと三味線がシャーンと一緒に弾いて曲が終わった時は今日一番大きな拍手が起こりました。私にはみんなが“あーやっと帰れる”と安心した拍手のように思えました。
はじめての尺八のコンサートはきんちょうしたけど、ぜんぜん自分の知らない世界をけいけんすることができておもしろかったです。いしかわさんは来年もやるそうなのでまた来たいです。 by利光子(とみこです。TOMIってよんでくださいね。)
という訳で「、第11回リサイタル〜風来疎竹〜」が何とかかんとか、兎にも角にも、やっとこさっとこ、えーと(バゴーン!)終了した。今回も多くの人に支えられ感謝感激雨あられである。リハーサルのために何度も貴重な時間を費やしていただいた助演の皆様、裏方として私の我が儘にお付き合いいただいたスタッフの皆様、そして何よりもお忙しい中を会場へお運びいただいた皆様に深甚の御礼を申し上げる次第である。
おかげを持ちプログラムは概ね悦んでいただけたようであるが、今回もなかなか厳しい闘いであった。
今年6月に菊若啓州師の会で初めて吹かせていただいた「新青柳」に惚れ込み、“自分の会でもやってみよう”と取り上げたまではよかったのであるがいつまでたっても暗譜できず、結局準備時間の大半をこの曲に費やしてしまった。こんなに憶えにくい曲は初めてであった(あ、年のせい?)。しかし、あいかわらず古曲は下手ながら気魄だけは伝わったかと思う。
その“割を食って”最も練習時間の少なかったのが廣瀬量平作曲の尺八独奏曲「渺」であった。全部で7段からなるうちの初段から5段までは、五線譜に音の断片が並べてあるだけで、それを音にする作業自体はそれほど困難を要しない。そして6段目と7段に目は難しい漢字が羅列してあるだけで音符はない。何というか“練習のやりようがない”曲なのである。おまけに楽譜には、各段ごとに譜面台を用い、それを演奏者の側から扇形に並べ、順に吹いていくという一種のパフォーマンスまで指示してある。演奏者のイマジネーションを問われるような、技術とは別のプレッシャーのかかる曲で、こういう曲のほうがやりにくい(実は楽譜を見る前に曲を決めてしまった)。とうとう本番まで手探りの状態であったにもかかわらず、蓋を開けてみるとこの曲が最も好評であった。廣瀬先生おそるべしである。でも、本人も予期しないこういうサプライズがあるのでリサイタルは面白い。
閑話休題、なかなかこのご報告が出来なかったのは「読書の秋(へへっ)」を謳歌していたからである。リサイタルを控えると練習や諸雑用のため読みたい本にまったく手がつけられない。その反動もありリサイタルが終わった翌日から残務整理の傍ら“積ん読”してあった本を読み始めた。
まず一冊目は「象の背中(秋元康著)」。著者自身にはさほど興味はないが、“自分と同年代の人間が死とどう向き合うか”という内容に興味を持ち頁を開いた。若くから才能を多方面に開花させた人の作品だけあって流石に上手い。泣かせるツボを心得た人である。しかも著者自身初の長編で新聞小説であるというから驚きである。新聞小説は毎日の字数との戦いでもある。それを感じさせずによくこんなストーリーを書けるものだと感心した。
一冊目はタッチ自体は軽めだったので、もう少しどっしりしたものが読みたくなり、二冊目には「花の回廊〜流転の海第5部〜(宮本輝著)」を選んだ。宮本輝は私がもっとも敬愛する作家である。“肌が合う”とでもいえばいいのか、氏の作品は私にとって心地よいことこの上ない。しかし、近年は一年に1作ぐらいしか作品が上梓されないため、この作品はあえて取りおきしていた“期待の詰まった”一冊であった。著者のライフワークである渾身の作品はその期待に応えてくれるが如く冒頭から“宮本輝の世界”が繰り広げられ、私はたちまち引き込まれていった。「象の背中」も上手かったが宮本輝は上手さの次元が違う。ディーテイルが、リズムが、行間の持つ力が全く違う。失礼を省みずにいうと、とんでもなく上手なアマチュアの秋元に対し、百戦錬磨のプロ中のプロの宮本、といった感じである。決して明るい内容でないにもかかわらず、人に前を向かせ、生きる勇気を与えるという点でも宮本輝は凄い。
私もプロの端くれとして、人に勇気を与える演奏をしたい。内容のいっぱい詰まった一音を出したい。今のところはリサイタルの度に私が皆さんから勇気をもらっているのだけれども・・・。
「当たるも八寸当たらぬも八寸」
2007年10月28日
いつの世も占いブームである。
私は占いをまったく信じない。という訳ではなく、自分に都合の良いことだけを信じることにしている。
そんなスタンスであるから自らお金を払って運勢を見てもらうことはまず無いのであるが、ずっと前のお正月にホテルに演奏にいった際、時間つぶしでコンピューター占いをしてもらったことがある。
その名もコンピューター占い『ボイジャー』、時代がわかるネーミングである。鑑定料はたったの500円。ケチケチ大阪人の私にとってもそう惜しくはないリーズナブルな料金設定である。
項目は「えっ、こんなに見てくれんの」というぐらい多いんであるが、「こんだけいろいろ書いてあったらどれかはあたるやろう」という気がしないでもない。
では、その『ボイジャー』の占ってくれた内容を記し検証してみることにする。( )内は私のツッコミである。
まず私の“若年運”はというと、「なかなかの人気者で若年期から多才ぶりをみせるでしょう(ウーン)。当然学業は良くて当たり前です(も一つウーン)。幼い頃から芸術部門の勉強をすれば必ず大成致します(時すでに遅し!)。」
次に“中壮年運(よっ、待ってましたっ)”「潜在的能力は抜群ですのでやる気さえ出せば誰にも負けません(なんとまあ玉虫色)。ムラッ気の人ですから大成功するか大失敗の運勢です(ムラッ気は当たり!)。易占の方にでもご相談なさったらいかがですか(ってアンタが言うな)。
そして“晩年運”「若い頃の苦労が開花する時ですので、男女ともに安泰です。貴重な体験をなされた方ですので周囲の若者に体験的訓話をなさって下さい(これも全ての人に当てはまりそうな玉虫色なコメントであるが、オッケーです)。
次は“環境影響運(こんな運もあるのね)”「交渉時に早合点して大失敗することも有りましょうが、人望有る人ですから何とか乗り切れます(ホッ)。もう少し慎重になられたら鬼に金棒です(はいわかりまちた)。総じて良好の運者です(ありがとうありがとう)。
“要点(何の要点?)”「周囲を意識し過ぎ一人相撲を取る傾向がある人です(周囲は意識しすぎまへんがこれは当たり)。まず自身の管理をし、次に他への気配りを考えましょう(わかりまちた)。貴方のラッキーカラーはグリーン(おー、“竹”は緑や)。
そろそろ本題に入りそうな気配で“性格”「あなたは判断力が強い人ですからいったん奮起すれば爆発的に力を発揮するのですが、ムラッ気の強い人ですので、自らを苦境に追い込んだりもします(あんまりムラッ気、ムラッ気言わんといてちょうだい)。生まれ月が一月ですので正直で働き者ですが短気でしょう(何とアバウトな。一月生まれの人は皆そうなんかい!)。
次に生まれ年から判断すれば優柔不断で何事にもスローペースです(悪かったね)。表面上は穏やかで交際上手の人です(ウーン)。しかし用心深い割にはヌケたところが多いようです(アンタ見たんかい)。男性は色情の思いが強いため女難があります(ゲゲッ)。本質的にはボォーとしてますので、買い物好きな割りには迷やすいが為、グズグズしがちです(どういうこったい)。
出ました“金運(キタキターッ)”「綿密な計画のもとに進めば天性の福縁が有る人ですのでかなりの財を築ける人です(ヨッシャーッ)。貴方が家長であるならば一家繁栄の樹木は“梅”と“桃”ですのでご参考ください(“竹”ではなかったのね)。他方面からも貴方を見れば金銭運は安定性がありお金に困ることは一生を通してもほんの数回です(へっへっへっ)。しかし爆発的に蓄財できる人でもありません(ありゃま)。そこそこに財を築くためには力量のある人との交際を続けるべきです(さっき“かなりの財を築ける”ゆうたやん)。それから口先だけでは儲かりませんのでそのつもりで・・・(て、占いが・・・で終わってどないしまんねん)
こちらは気になる“健康運”「数霊上からは腰痛に注意です(今んところ大丈夫です)。貴方は流行病にかかりやすい傾向の人ですので要注意です(注意します)。次に、気管支炎、小腸、十二指腸、毛髪の病気、筋の病気、胆石、右手の障害、等です(私の禿は病気なのかしらん)。
そろそろお終いで“職業運(これこれ)”「明朗な人ですので、協力者にも恵まれ成功するでしょう(最後は持ち上げて終わるのね)。かなりの大事業も可能な人です(がんばってみます)。
貴方の生まれ星から適職を割り出しますと、建設業、建築家、運送業、貿易商社、呉服商、紡績関連、仲介業、宣伝広告業、材木商、そば屋、等が向いて居ります(ガビーン!尺八や音楽はかすりもしてないやおまへんか。残念ーっ!)。
この項目ごとの占いに加え一生のバイオリズムが記されてある。私のバイオリズムは22歳頃から「順風」で28歳まで「希望」。そこから「スランプ」に入り、30代から持ち直し30代はずっと「変動期」。40歳からは「好調」で50歳前に「開花」とある。現在46歳の私は「好調」で「開花」目前ということになる。
『ボイジャー』君、よくぞ言ってくれた。私は自分に都合の良いことだけを信じ、今日からまた前進することにする。
500円でこれだけ楽しめれば占いも捨てたものではない。
【特別付録】
※《10月29日の貴方の運勢》(byストーンリバーとちみつ)
おひつじ座 ・・・好調な時間は19時。
おうし座 ・・・「新大阪」に行くといいことがあります。
ふたご座 ・・・ラッキースポットは「コンサートホール」。
かに座 ・・・「ムラッ気」ではなく「ムラマツ」。
しし座 ・・・邦楽に触れる時間を作ってみては。
おとめ座・・・今日の繁栄の樹木は“竹”。
てんびん座 ・・・『石』と『川』がキーワード。
さそり座 ・・・一月生まれの人を見るといいことがあります。
いて座 ・・・電話をすると3,500円が3,000円になります。
やぎ座・・・お友達を誘いましょう。
みずがめ座 ・・・20時半には終わります。
うお座 ・・・怖くありません。
てな訳で、10月29日19時「第11回石川利光尺八リサイタル〜風来疎竹〜」(於:ムラマツリサイタルホール新大阪)にてお待ちしております!
※もちろんテキトーに書いたので信じないでください(今月もすんません)。
「酒は憂いの玉箒」
2007年9月21日
我輩の辞書に“夏痩せ”の文字は無い(石川利光)
そーなのである。一際厳しい酷暑であったこの夏は、ビール党の私にとっては一段とビールが美味しくいただける楽しい夏でもあった。
世の酒豪のおじさん達に比べれば私などはかわいいものであるが、「ひと夏(二ヶ月間)に一体どれ位のビールを飲んだんだろう」という疑問がむくむくと湧いてきたので計算してみることにした。
私は普段、家に居るときには一日に1〜1,5リットル(ロング缶2ないし3本)を常飲している。平均を取り一日1,25リットルとして×60日で計75リットル。夏はイベントや演奏会が週末ごとにあり、打ち上げ、反省会と称してはそれよりもやや多めに飲んじゃうので、0,5リットル×20日として10リットル。これを追加すると計85リットルのビール消費量である。多いのか少ないのかよくわからない数字である。
ビールメーカーが出荷量を発表する時には“東京ドーム”何杯分などと表される。そこで、この85リットルという量は何に例えるとわかりやすいか考えてみた。「50リットルのガソリンタンク1,7杯分」これは今晩飲むときにガソリンの臭いが漂ってきそうなのでNGである。「60リットルの洗濯槽1,416杯分」泡は泡でも泡違いでNG。「20リットルのポリタンク4,25杯分」こちらは“非常時に何しとんや”と怒られそうな雰囲気なのでやっぱりNG。「170リットルの風呂桶0,5杯分」そんな汗臭いビール飲めるかい!とこれもNGである。うーん難しい。いろいろ思いついたが、「一斗樽4,72杯分」これが一番しっくりくる。やはり酒つながりが一番落ち着くとの極私的結論に達した。
そんなこたぁどうでもいいのであるが、私が困っちゃうのは、暑い夏は“夏痩せ”ではなく“夏太り”の危険と常に向かい合わねばならない、ということである。ビールが美味いと食べ物も美味い。その相乗効果でついつい食べ過ぎちゃうのである。
おじさんと呼ばれる年齢になってから太ることが危険なのは周知の事実である。さらに、私の亡父は糖尿病と高脂血症の既往があり、遺伝するそのあたりの因子には私もかなりの警戒を払わねばならない。しっかしビールの無い夏というものはもはや考えられない身体である。今日も明日も危険をかえりみずビアグラスと茶碗を重ねてしまう私であった。
「危険な夏」という言葉は10代の若者ばかりでなく40代のおじさんにも充分にあてはまるのである。
それはさておき、前号でお報せした学フェス以降も様々なイベントが開催された。
8月19日は12回目を数える「石の会・夏の演奏会」であった。毎年5名前後が入れかわるが、今年も27名が参加し、熱演が繰り広げられた。最年少は高校2年生、年長さんは推定70代半ばで、それぞれが一人吹きの真剣勝負の舞台である。私は例年のごとく舞台袖で全曲を聴き、向上した点、さらに改善が望まれる点などをチェックした。2月の「石の会・独奏会」と合わせて1年に2回の一人吹きの効果は充分にあり、それぞれが目覚しい進歩を遂げていたが、初参加のスーパー高校生(前号のコンクール第二位の彼である)には皆、度肝を抜かれていた。こういうサプライズがあるのもまたこの会の楽しいところである。
その翌週の8月24〜26日は、今夏最大のイベント「井原市美星国際尺八フェスティバル」が盛大に行なわれた。国際尺八研修館の20周年記念イベントで、恒例の合宿講習会に、大規模なコンサートや講演、シンポジウムなどをドッキングさせた、それはそれは楽しい三日間であった。外国人の招待演奏家や参加者も多く、スタッフの一人として、「国際」の名に恥じない大会になったことが殊のほかうれしかった。シンポジウムにおいては、アメリカ、オーストラリアで上がり続けている“尺八熱”が、いよいよヨーロッパにも拡がりつつある様子がリアルタイムでうかがえ、こちらも熱くなった。また、国内からも金子朋沐枝女史(ほんとにいい人)をはじめとする女性尺八軍団(失礼!)も大いにフェスティバルを盛り上げてくださり感謝に堪えない。女性の尺八人口がさらに増えることを願ってやまない。
盛りだくさんの内容だったこのフェスティバルにおいて、最も印象に残った人は何といってもジョン・海山・ネプチューンさんであった。ギターの直居さんとのライブ・パフォーマンスは、私が以前聴いた時よりも更に進化したネプチューン・ワールドが展開され、700人を超えるコンサートの聴衆にハッピーな時間を与えた。また、翌日の講習会参加者向け特別レクチャーでは、前日のパフォーマンスとはうって変わって、尺八に対する真摯な思いや取り組みが惜しみなく語られた。彼の言によれば、その圧倒的な技術は最初から与えられた訳ではなく、彼自身の不断で弛まぬ努力によって獲得されたものであるとのことであった。
ネプチューンの言葉を聴きながら私は、バッハの「私のように努力すれば誰でも私のようになれる(大意)」という言葉を思い出していた。実際、その努力できること自体が天賦の才だと考えるが、ネプチューンのレクチャーは私に大いなる勇気を与えてくれた。ネプチューンは「時間はいくらあっても足りない」とも語った。私より10歳年上のネプチューンは、気持ちを持ち続ければ年齢に関係なく“進化”できることを我々に示してくれた。
実は、今年はリサイタルを一休みしようと思っていたのであるが、“吹きたい虫”がむくむくと頭をもたげてきたため、あまり大掛かりにならない規模でやらせていただくことにした。今回は“声”と“尺八”にスポットをあてたプログラムである(内容はこちら)。演るほうはヒーヒー言っちゃうくらいハードな内容になってしまったが、聴きに来てくださる方には悦んでいただける番組が出来たのでは、とほくそ笑んでいる次第である。
もう残すところあと一ヶ月とちょっとになり、少々焦りながら日々練習を重ねている。練習のあとはやっぱりビールである。
という訳で、
“皆様のご来場とビール(※)の差し入れを心よりお待ちしておりまーすっ”
※但しビールはアサヒ、エビス、サッポロにてお願いしまーすっ(えらいすんません)。ビール券も可(ほんまにすんません)。
「果報は吹いて待て」
2007年8月17日
7月は月初におよばれの演奏会があり、その他は学校公演がちらほらと、本番の少ない月であった。そんな月はレッスンが主体になり、あとは自分自身の鍛錬と事務作業(個人事業主ゆえ結構多いんどす)がおよその仕事である。
比較的静かな月であったが、慶事がいくつかあった。一つは、6月に助演させていただいた菊若啓州師の50周年の記念演奏会に対し“大阪文化祭賞奨励賞”が与えられたことであった。贈賞の理由のところに尺八の文字も見え、四半世紀になるご縁に少しはご恩返しが出来たかと安堵した。
もう一つは、昨年からレッスンに来ている高校2年生が、岡山で行なわれた“全国高校生邦楽コンクール”で見事第二位に輝いたことであった。私もその場にいたが、並居る強豪を抑えての第二位は立派!の一言である(ちなみに第一位はおことの作曲で著名なY崎さんのお嬢さん)。
また、東京ではプロで頑張っている門人の結婚披露パーティがあり、新郎の師匠ということで、主賓としての扱いで祝辞をさせていただいた。何とかつつがなく話せたが、こういうことは演奏よりも緊張するものである。
ともあれ、自分が関わった人たちが晴れがましい舞台に立っている姿を見ることはこの上なく嬉しいものである。私も過去にどういうはずみでか賞をいただいたことがあるが、上記の二人の受賞は自分が貰った時よりもはるかに喜びをおぼえた。また、パーティで皆に祝福されている門人を眺めながら、ちょっぴり子供を結婚に送り出す親の気持ちを味わうことが出来た。
これからも私の周りに慶事が続くことを願って止まない。
さて、8月はイベントの月である。
この駄文を書きそびれている間に、私が関わる最初のイベントである「第13回全国学生邦楽フェスティバル」が盛会の裡に終了した。
私は一日目の講習会講師と鑑賞会出演、二日目の地歌ワークショップ助手と学生コンサート審査員、とフルに参加させていただいた。それぞれに単独の催しとしても充分に充実した内容であり、これを纏めて味わえる現役の学生は本当に恵まれていると思う。
そのフェスティバル一日目を終え、用意していただいたホテルに投宿し、入浴の準備をしていた私はふとつけたテレビの画面に釘付けになった。そこには大汗をかきながらリハーサルに臨んでいる尾崎豊の顔があった。NHKの番組で、『プレミアム10尾崎豊がいた夏〜知られざる19歳の素顔〜伝説の大阪球場ライブ』というタイトルがついていた。何というタイミングであろうか。忘れもしない、というのは大嘘ですっかり忘れていたが、この1985年の大阪球場での尾崎豊ライブは私も聴きに行っていたのだ。その時私は24歳。尾崎を知ったのはその前年で、以来彼は最もよく聴くアーティストの一人になっていた。大阪球場でのコンサートが発表になると私はいてもたってもいられず、歳を省みず(球場でも果たして、一人おじさんが交じっている、という感じであった)チケットを購入し、旧なんば球場へ臨んだ。そのライブの率直な感想は“ハァー、19歳でもこんな大きいことができるんやなぁ”だった。純粋で真っ直ぐなそのパワーに圧倒された。
22年後の同じ月、尾崎が歌い、叫ぶメロディに引き込まれ、風呂に入ることも忘れTVの画面に見入っていた。リハーサルや打ち合わせなどメイキングの部分も多く放映されていたが、周りの大人たちを完全に掌握してコンサートを成功に導くそのパワーとオーラに私は一人興奮し、感動していた。セットの間をよじ登り、ステージを走り回る、といったパフォーマンスに“尾崎は完全にトランス状態に入っている”と現場で私は実感したのであるが、一旦楽曲が始まると進行も歌詞も完璧に再現していた。まさしく世阿弥が言うところの“離見の見”である。46歳の私はまたしてもこの19歳の少年に打ちのめされた。
プログラムのラストナンバーが終わり、呼吸困難な状態で舞台袖で悶絶していた尾崎が映されていた。しかし尾崎はアンコールの絶叫に応え、再び立ちあがりこの曲を歌った。
シェリー 俺は転がり続けて こんなとこにたどりついた
シェリー 俺はあせりすぎたのか むやみに何もかも 捨てちまったけれど
シェリー あの頃は夢だった 夢のために生きてきた俺だけど
シェリー おまえの言うとおり 金か夢かわからない暮らしさ
転がり続ける 俺の生きざまを
時には無様な格好でささえてる
シェリー 優しく俺をしかってくれて
そして強く抱きしめておくれ
おまえの愛が すべてを包むから
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
<中略>
シェリー
あわれみなど受けたくはない
俺は負け犬何かじゃないから
俺は真実へと歩いて行く
シェリー
俺はうまく歌えているか
俺はうまく笑えているか
俺の笑顔は卑屈じゃないかい
俺は誤解されてはいないかい
俺はまだ馬鹿と呼ばれているか
俺はまだまだ恨まれているか
俺に愛される資格はあるか
俺は決してまちがっていないか
俺は真実へと歩いてるかい
シェリー いつになれば 俺は這い上がれるだろう
シェリー どこに行けば 俺はたどりつけるだろう
シェリー 俺は歌う 愛すべきものすべてに
Wow・・・・ (「シェリー」作詞・作曲・歌:尾崎 豊)
腹が立つほどの暑い8月であるが、真実へ向け吹き進んで行きたい。尾崎に負けないように。
「衣錦の栄」
2007年7月1日
久々に日本人に快哉を叫んだ。それも立て続けに二度。
初めの快哉は2007ミスユニバース世界大会でなんと〈優勝!〉された森理世さんに対してであった。
ニュースでまずそれを知った時には「これって快挙ちゃうのん」という驚きが大半を占めていたのであるが、インタビューの記事などを読むにつれ“この人は只者ではないっ”ということが徐々に見えてきて、驚くと共に言いようの無い感慨を覚えた。
女性なので“弱冠”ではないが、まだ20歳の彼女がその栄冠を引き寄せたあとのインタビューで「優勝できる自信はあった」とさらりと言ってのけたことは“お見事!”というほかはない。また、「私は誰よりも準備をしたと思う」とも語ったそうである。すばらしいことである。
この言葉を目にして思い出したことがある。
横山勝也師は弟子に「良い演奏とはどのようなものか」という問いかけをよくされた。それに対する弟子の意見、考えは様々であったが、横山師の回答は「考え、吹き、準備をされつくした演奏だと思う(大意)」というものであった。私などは実際に演奏や録音を控えていたとしても、自分でそこまで言い切れるだけの準備をしたことは恥ずかしながら一度もない。
森さんのインタビューを読んだ時、この横山師とのやりとりを思い出した。「誰よりも準備をした」と言い切れるだけの自信が強さとなって審査員の心に響いたのであろう。
ミス・ユニバースは今後1年間、世界中を回ってさまざまなチャリティー活動などに従事するそうで「まだ20歳の私が、社会に役立つことができることがうれしい」「この世からエイズやHIVを無くす第一歩になれば」と熱い想いを語ったとのことである。
某スピリチュアルカウンセラーの表現を借りれば、そうとう「たましいの年齢が高い」人なのであろう。もはや“尊敬”するにふさわしい素晴らしき女性である。これからの森さんの活躍に注目したい。
もう一つの快哉は“イチローと桑田の対決”である。今や大リーグには常に二桁の日本人選手が活躍しており、日本人同士の対戦は珍しくもなくなってしまった感があるが、この二人が大リーグで2007年に対決するなどとは誰が予想しえたであろうか。桑田投手(以下略)は巨人軍で数々の輝かしい実績を残した後、試練の時期を乗り越え見事に復活を果たした。その時に甲野善紀氏の助言を実践して再生したこともあり、再生後の桑田に対しては、私自身、以前よりも注目していた。しかし大勢の声のように「大リーグでは厳しいんじゃないか」と応援をしながらも疑心を抱いていたことも事実である。
大リーグでも揺るぎないトップスターに登りつめたイチロー選手(以下略)と桑田の初対決は果たして桑田の勝ちに終わった。わずか4球のやりとりで見事イチローを三振に切って取った。アメリカの球場で、地元の多くのファンの前で、二人が対決し、観客が喝采をおくる映像を見て胸が熱くなった。
この時のパイレーツとマリナーズの3連戦において桑田とイチローが互いを評している言葉が興味深い。
イチローが桑田を「すごく力が抜けている感じがいい」と評せば、桑田はイチローの印象を「走攻守見てても、力みがないでしょ。さらっと水のようにしなやかだけど、力が伝わっているっていうか……」と口にし、最後にこんな言葉を付け加えた。
「求めてるものは、同じかも」
これっ、これである。ジャンルも、レベルも、名声も、年収も、えーと・・・(もうえぇっちゅうねん)すべてにおいて二人と私とは天と地ほどの差があるが、私の求めてるものも同じだと思う。
私も「さらっとしてしなやかだけど、力が伝わっている」優しくて強い音を目指したいものである。
もはやこれらの人たちに“日本人”という括りは無いのかもしれない。しかし、この3人の日本人による海外での素晴らしい活躍を目の当たりにし、私は大いに刺激を受けた。
私も、伝統と、無限の可能性を合わせ持つ素晴らしい楽器『尺八』を、自信を持って世界に知らしめて行きたい。
あまりにも英語がまずく、不肖、拝命されている「国際尺八研修館講師」を返上して、私だけ「国内尺八研修館(そんなものは存在しない)」所属にしていただこうか、などと考えたこともあったが、それはここだけの話にしておこう。
「報恩謝徳」
2007年6月16日
口を開けば文句を言う人がいる。
口を開けば愚痴を言う人がいる。
口を開けば他人の悪口になる人がいる。
これは性分というやつである。
こういう人はたとえ何億円持っていたとしても文句を言うことを止めはしないだろう。
こういう人はどんなに豪邸に住んでいても毎日毎日愚痴を言ってすごすであろう。
こういう人は完全無欠な人を見ても“あんな人はたいがい足臭いねんで”などと邪推を止めないであろう。
昨年から今年にかけて数多くの老人ホームで演奏させていただく機会があった。経営母体は民間や半官半民など様々であったが、いずれも“超”がつくほどハイソでセレブ(?)な施設であった。職員の方と食事をご一緒させていただいた時に「私らはとてもやないけどこんな高いところに入れません」と半ば自嘲気味に話されていたのが印象的であった(施設内の掲示板に“ダイヤのピアスの落し物があります”との張り紙を見た時は笑ってしまった)。
この“超”高級老人ホームでの演奏の期間を通して、私は“人間の一生とは何か”“幸せとは何か”ということを自問し続けていた。
私は、“人間の一生とは、良いこととそうでないことで結局チャラぐらいなのではないか”と思う。良いことばかり続くことがそうそうありえないし、逆もまたそうであろう。畢竟、少しだけ「浮き」で人生を終えることができれば上出来である。その為に精一杯生き、人の役に立つような善い行ないを重ねることが人間に課せられた仕事ではないかと私は考える。
また私は、“人の運命は決められている”という説を信じる人間であるが、数年前より傾倒している甲野善紀さんの著書に“、若き日の甲野さんが「(人間の)運命は、決まっているが、同時にまったく自由である」という結論にたどりついた”という記述があるのを読み大いに共感した〔「身体から革命を起こす」甲野善紀・田中聡 2005年 新潮社〕。自由に、ポジティブに生きることこそ、生かされている自分にとって大事なことなのである。同時に忘れてはいけないのが「感謝」の心だと思う。私が何とか尺八で生きていくことが出来ているのは、この感謝の心を日々持ち続けているからだと思う。えらくお利口さんのようであるが、これは実感である。
ところで、私が常々お世話になっている菊若啓州師が(何と!)芸歴50年の記念演奏会を開催される。師は三絃と箏曲のおっしょはんで実は大先生であられるが、気さくなお人柄故たいへん親しくさせていただいている。今回の演奏会にも声を掛けてくださり、「(新)青柳」と「哀歌」(けっこうバラバラな選曲!)で吹かせていただくことになった。
そのうちの「青柳」はもうお一方、こちらも関西の重鎮・中野幹子師との三曲合奏である。この合わせ(リハーサル)が何ともありがたい。啓州師が「こんな世の中やけど好きなことさしてもらってほんまにありがたいですわ。」とおっしゃれば、中野師も「私もそうよ。毎日感謝して弾かせてもらってんのよ。お竹(尺八)の人にも“せんせ、青柳弾くときは幸せそうな顔してはりますなぁ”云われるねん。」と応酬(?)される。とにかく曲を弾いている以外の時間は「ありがたい」「感謝」の言葉が飛び交っている現場なのである。
私はこの両巨匠の前では小僧なので、心の中で「ありがたや、ありがたや。」と唱えている。実にありがたーい舞台になることうけあいである。
このありがたい舞台へのご来聴をお待ちして今回の「石と竹」を終わらせていただくことにする。
会場は大阪の「日本橋」駅下車、『国立文楽劇場小ホール』。日時は2007年6月17日(日)13時開演・・・・6月17日、ゲッ!明日だ!!
「下手の縦笛好き」
2007年5月11日
SCENE8
その時Tはビルの中の大きな密室にいた。目の前には無機質な金属製の棒や箱が整然と並べられてある。壁のうちのある一面がガラス張りになっていてその向こうには数名の人影が見える。無音の空間を切り裂き人の声が何処からとも無く聞こえてきた。“では本番参ります。テープが廻りました。”すぐに声は聞こえなくなりガラスの向こうの人がパントマイマーのように右手をTに投げかけた。Tは軽くうなずくと竹を口元に当てて深く息を吸い込んだ。
4月某日、NHKから依頼をうけFM番組「邦楽のひととき」のための録音を行なった。スタジオでの録音は慣れるということがなく毎回緊張の連続である。ホールと違いスタジオは余分な残響がないように作られているため、スタジオに入りまず一音出したところで自分の貧弱な音に愕然とする。“何や、オレの音は実はこんなに情けない音やったんやー”というショックからすべての仕事が始まるのである。尺八は身体が楽器の部分が大きいため、精神的に萎縮してしまうと見事に音も縮こまってしまうので厄介である。それでもしばらく吹いていると身体も緩み、無響のスペースにも幾分馴染んでくる。
今回は「現代邦楽で」という指定があったので、師・横山勝也作曲の「春吹(しゅんすい)」と、邦楽技能者育成会でご指導いただいた杵屋正邦先生の「一定(いちじょう)」の2曲を選曲した。自分で選んでおいてこんなことを言うのも何であるが、両方ともメリが出まくるムズカシーイ曲である。おまけに「春吹」はメチャメチャ速い手が出てくる。選曲をした2月には“よし、これをきっかけにこの曲のスペシャリストになったる、ふんっ!”と息巻いていたが、録音日が近づくにつれ、“何でこんなややこしい曲を選んだんやろ”とだんだん弱気になっていく自分がそこにいた。「一定」は独奏曲で、「春吹」は二重奏曲である。二重奏の助演は、やはり横山門下である“炎のチャレンジャー”岡田道明君にお願いした。
NHKの録音は、1.練習がてら音出しをしてマイク位置の調整および録音レベルの決定→2.テスト録音で全曲演奏→3.本番録音(OKが出るまで)という流れである(だいたいどこもこんな感じですかね)。
今回は休憩の多い(相方の吹いている間)二重奏を先に録音しておいて、環境に馴染んでからソロをかまそうという作戦をとった。
ところが二重奏曲の録音とは存外難しいもので、片方がうまくいけばもう片方がどこかでチョンボをしてしまったりして、なかなかOKレベルまでいかない。「両雄並び立たず」ではなく「下手の共倒れ(岡田君ごめんちゃい)」といった感じで、結局レベル調整1回、テスト録音1回、本番録音4回の合計6回吹いてようやくOKになった。予想外(大誤解、なんちゃって←前々回参照)の展開で、この時点ですでにヘトヘトのフラフラ、次のソロ曲は試合前からパンチをかまされたような状態であった。
私はこれまでの経験から2回目か3回目のテイクが最もマシな出来になることが判っているが、非常な緊張を伴う「一定」をその時点から何度も吹く自信が持てなかった。そこでディレクターにお願いしてテスト録音からテープを廻していただいた。
すると何と、神のご加護かご先祖様のお導き、はたまた正邦先生のお情けか、そのテスト録音でOKのものが録れてしまった。一度試聴したあと、ディレクターが“もう一度録られても結構ですよ”と言われたため、“げっNG(NoGood)か”と一瞬あせったが、そのディレクターの上司の方の“いやぁ、よい演奏でした、OKでいいでしょう”の一言でめでたく録音終了となった。
自分がこういう経験をしてみて感じることは、横山先生をはじめ、青木鈴慕師、山本邦山師、山口五郎師など“巨匠”“名人”と評される人の「凄味」である。何十年も前の録音なのに、すぐそこでまさしく竹が歌い、叫んでいるかのような凄い録音が少なくない。海童道祖にいたっては「録音中に竹がひび割れ、息もれとなったがかまわずに吹定を果たした」や「吹定中に豪竹が叱咤激励され、忽ち狂いを生じて了い、役に立たなくなった」などといったもう何だかわからない逸話まで残されている。私などはマイクの前に立つと破綻なく吹こうとするのがやっとで、あらためて凡人と天才の違いを実感し、驚嘆を禁じえない。
閑話休題、先日の新聞に大平サブローさんのインタビュー記事が掲載されていて興味深く拝読した。(大平サブローさんといえば大平サブロー・シローのコンビで一世を風靡した名漫才師である。私が漫才を見だした小学生頃からの上方漫才師で名人(名コンビ)といえば、横山やすし・西川きよし、Wヤング、オール阪神・巨人、そして大平サブロー・シロー〔敬称略〕で、上手さ、面白さでは群を抜いていた。)その記事の中で現在の若手漫才師について、「漫才はうまいんだけど“叫び声”が聞こえてこない」「魂の叫びというか、必死のパッチの気迫みたいなものが、あんまり伝わってこないんですよね」との感想を語っておられた。これは私が現在の若手尺八吹きに抱く印象とまったく同じなのであるが、よくよく考えてみると、私自身も上の世代の方々からは同じように思われていることは想像に難くない。それでも何とかあがいていると、近頃ようやく尺八で歌う、叫ぶということがどういうことであるかがわかりかけてきたような気がする。
先の録音の放送日は5月30日(水)am11:00〜11:30〔再放送は翌31日am5:20〜5:50〕、ご都合のつく方はぜひともご一聴をお願いする次第である。自分なりの歌が歌えているか、叫んでいるか。今は結果発表を待つ受験生の気分である。
「水火を辞せず」
2007年4月5日
水曜日 スイスイ泳ぐ お父さん
これは私のダジャレ好きが完全に伝染(うつ)ってしまった6歳の娘の迷作である。
私がプール通いを始めてから一年と半年が過ぎた。
『目指せ!尺八界のトビウオ日記』はのっけから頓挫してしまったけれども、おかげを持ち水泳は生活の一部となった。
現在も毎週水曜日の水泳教室は継続し、それ以外にも自己鍛錬のため暇を見つけてはプールに通っている、と言いたいところであるが、最近は忙しさにかまけてしまい、週一の教室がやっとこさといったところである。
それでもやめることなく続いている理由は、水の中に浮かぶことと、身体を動かして少々ハァハァいうことが“チョー気持ちいい”からである。
ちょうどこの原稿を練っている時にメルボルンで「2007世界水泳」が開催されていた。普段は滅多にテレビを見ない私が画面に噛り付くようにして見入った。こんなことは以前の私からは想像もつかなかったことである。だから人間というのは面白い。
おそらく水泳をしていなくとも各国の代表選手のレベルの高さは感じることが出来たと思うが、実際に自分が同じようなことをやっているとあらためて選手のすごさがよくわかる。
号砲が鳴って飛び込んだ直後の魚のような足の動き、クロールや背泳の手をかく速さ、平泳ぎでの上体の浮き上がる高さ、バタフライ選手のイルカのような動き、どれをとっても人間技とは思えない。
それに加え、外国の代表選手ともなると皆ものすごい身体である。バケモンみたいな男子選手が、オッサンみたいな女子選手が、次から次へと画面に登場してくる。もはや驚嘆のため息しか出てこない。
そんな中、貧弱(あくまで相対的に、です)な体躯の日本人選手もよく奮闘した。伍して戦うだけでも充分すごいことなのに、その上メダルまで獲っちゃう人はほんとうに“おそれ入谷の鬼子母神(?)”である。ライバルが棄権し、順当(戦いにこんなことは絶対おまへんが)と言われていた北島が金メダルを獲った瞬間には思わず快哉を叫んでいた。熱い戦いを繰り広げてくれた選手たちには心から慰労と感謝の言葉をおくりたい。
再び水泳教室の話に戻るが、コーチは「上手く泳ぐためにはまずそのイメージを持つことが大事」だと言われた。
これは尺八においてもまったく同じである。良い音のイメージ、良い演奏のイメージを持つのと持たないのとでは、上達や進歩の度合いが変わってくるのは自明の理である。
私にとっての“良い音”とは書くまでもなく横山先生の音であり、永遠の目標である。その目標に近づくために、尺八吹きにとっての“伝家の宝刀”である一尺八寸管を持ち替えた。病に倒れられる直前の横山先生の自信作である。
その尺八は大きな身体の使い方をしないと全く真価が発揮できないばかりか、逆に情けない音しか出てくれない楽器で、実は先生に譲っていただいた十年前から、何度もトライしてはその度に挫折を繰り返してきた手強い一管なのである(ちなみに愛称は“マサアキ”です。よろしくね)。
「もしかしたらこれは一生まともに吹くことがでけへんのとちゃうやろか」と自分自身半ば諦めかけていたが、近々録音の仕事が入り、意を決して再度向き合うことにした。何とかこのチャンスをものにして新しい音を獲得したい、いや獲得するのだ。
水泳には、例えば世界記録のラップスピードで人間の身体を引っ張って、その速さを体感する装置が存在すると聞いたことがある。ならば尺八にもそんなものがあったらば、と考えた。横山先生や海童道祖の音を疑似体験できるようなシステムである。しかしながら、私の貧弱な肉体ではその音圧にまったく耐え切れずに壊れてしまうであろうことは想像に難くない(それでもいいと一瞬考えてしまう自分がそこにいる)。
スイスイとはいかないが、一つずつ積み上げていくほかはない。
「切磋竹磨」
2007年3月3日
♪僕のあだ名を知ってるかい〜
長管太郎って呼ぶんだぜ〜
長管握ってもう20年
メリやハラロにゃ慣れ〜た〜け〜ど〜
やっぱり大(おぉ)メリは厳しいぜ〜♪
私はかけっこは遅いが‘いらち’なので歩くのは速い。人間なんてそんなもんである。
私は喘息持ちだが尺八を吹いて生計を立てている。人間なんてそんなもんである。
私は背はちっこいが長管が大好きである。人間なんてそんなもんである。
さて、前回紹介をさせていただいた“炎のチャレンジャー”岡田道明君の『第五回(‘大誤解’では決してないのでお間違えなきよう)尺八リサイタル』は盛会の裡に終った。本人は謙遜して当日のプログラムに「後半は誰のリサイタルやら分からなくなるきらいもありますが・・・」と書き記したが、岡田君のがんばりは素晴らしかった。竹笛の友としてこれからのさらなる活躍を願っている次第である。
私はそのリサイタルのなかで助演として3曲に出演させていただいた。会主から拝命されたパートはすべて長管のパートで、いずれも手強い曲であった。自分のリサイタルより人のリサイタルに出演するほうが何倍も緊張するものである。近年では最も真剣に長管の練習をしたと言っても過言ではない(横山先生ごめんなさい)。その練習時に浮かんだキャッチフレーズが「長管太郎」(えへへっ)で、そこからするすると上の替え歌がでてきた。
まだまだまったく上手く吹くことは出来ないが、ほんとうに長管尺八の音は魅力的である。たまに現れる”乙のロ(ろ)”の“ゴオーッ”という響きは私をとらえて放さない(たまに現れるんでは困るんですけどねぇ)。
ところで、門人会「石の会」の“冬の甲子園”、『第四回独奏会』も2月25日無事終了した。今回は参加者26名のうち、古典本曲および琴古流本曲を吹いた人が22名と‘大本曲大会’(‘だいほんきょくたいかい’と読んでくださいね)になった。そしてさらに特筆すべきは、26曲のうちG管、A管、H管、C管といった長管での演奏が13曲と、長管太郎の集まりになった(長管花子さんも一人いた)。
曲目と使用管の長さは全て本人に任せてあり、緊張した舞台での出演者それぞれのがんばりを聴かせてもらうだけで私は満足なのであるが、今回は一層私の本曲志向、長管志向が反映されたプログラムになった。もはや充分にマニアの会である。私にとってはまさに至福のひと時であった。
今回は初めて〈門人紹介〉のページで紹介している5人の若手プロが全員出演することになった。そこで私は一計を案じた。会のラストに5人が続けて演奏し、他の出演者から「誰が一番良かったか」というアンケートをとったのである。
若手5人の実力は拮抗しており、演奏終了後には私もどのような順位になるか全く予想がつかなかった。結果は、“石の会の野生爆弾”松本太郎君が見事1位に輝き、私からの薄賞金をゲットした。また、投票と同時にいただいた各奏者へのコメントから、若手に求められているものは「上手さ」よりも「強さ」「フツーの人には出せないような鍛えられた音」であることがわかった。いきなりコンクールのようなことをやらされた若手はいい迷惑だったかもしれないが、いろいろなことに発見があり、私にとっても収穫であった。
話は変わるが、ビール王国ドイツでは「ビールを一緒に飲みたい相手」とされることは非常に名誉なことらしい。選挙の際にも「候補者の中で最もビールを飲みたい相手は誰か」などという世論調査がなされ、その結果に候補者は一喜一憂するそうである。
私も門人や竹友から「最もビールを飲みたい相手」と言われたいものである。
あっ、私は大のビール好きであるがからきし弱いのであった。
人間なんてそんなもんである。
「竹笛の友」
2007年2月8日
“プロがプロとして尊敬を集められるのは、逃げも隠れもしない潔さによると思う。”
これは以前新聞の記事で見つけた一文である。その記事自体は音楽や尺八とはまったく違った内容だったのであるが、自分の姿勢と通ずるところがあり心に留めている。
さて、今回はプロの話である。
関西(“首都圏以外の一地方”と言い換えることができる)におけるプロ尺八家はビミョーな立場にある。
何というか「中途半端」なのである。
例えば、ある人が会を企画する場合、「師籍何十周年!」や「何々会大演奏会!」などと気合の入った内容を開く時には、“お客さんにも入ってもらわなあかんし、こら一丁奮発して○○先生お呼びしまひょか”ということで文句なく「特別出演○○○○先生フロム東京」をお招きすることを考える。
逆に、それほど大きい会でなくお弟子さんの発表会などの場合には、“内々の会やしなぁ、プロの先生に声掛けるのも大層やし、ご近所の△△さんに吹いてもらいまひょ”ということで、ノンプロの人に依頼されることが少なくない。
“玄人はだし”とはよく言ったもので、関西にはプロも“はだし”(尺八の場合は“玄人足袋はだし”、なんちゃて)で逃げ出したくなるほどの吹奏力を持ったノンプロ尺八吹きの人が存在する。特に、経験を要する地歌などは「何とまぁえぇ味出さはりますなぁ」と、私も惚れ惚れするような吹き手が何人もおられる。
こういった背景をもとに、「関西でプロの尺八吹きは3人おれば充分でっせ」と言う人もいる。もちろんこれはその人の考えで、関西の三曲系の舞台数と尺八の需要から割り出された荒っぽい数字なのであるが、それ位ニーズが多くないということであり、あながち“当たらずとも遠からじ”な数だと実感する。
「前門の虎、後門の狼」に置き換えると「前門の東京の巨匠・名手、後門の地元のノンプロ名人」とでもいえようか。それに加えプロ同士の競合があり、関西のプロ尺八家はなかなか厳しい環境の中で日々闘っているのである(もちろん依頼演奏に頼っている訳ではなく、口を糊する方策は自分で作り出さねばならぬことは言うまでもない)。
私の周りでは「好きなことで生活できていいですねぇ」と羨んでくださるかたと、「いやぁ、なかなかたいへんでしょう」と慰めてくださるかたが半分半分といったところである。
実際楽なことは決してなく、一生修行の道であるが「逃げも隠れもしない“潔さ”」を持ち精進を重ねていきたいと思う。
ところで、私が普段、活動を共にしている演奏家に米村鈴笙プロと岡田道明プロがいる(ゴルフかボウリングみたい)。
米村君とはもう四半世紀(えっ!)を超える付き合いになってしまった。彼とのことは他の項にも書いたことがあるので、今回は岡田道明君のことを書いてみたい。
実は私と岡田君とは京都のとあーる(R)大学の邦楽サークルの先輩後輩の間柄である。
とはいっても私が卒業してから彼は入部してきたので、初めて会ったのはOBと現役の関係であった。彼は私以上に尺八にのめり込み、大学の4年目を終える頃には演奏家を目指していた。当時の印象を無礼を省みずに書くと、「えっ、そんな実力でプロになるっちゅうの。それでメシが食えるなら警察いりまへんで(?)、プロとはそんな甘いもんやおへんやろう。」といった感じであった。しかしながら、一旦目標を掲げたら行動の早いところが彼の長所である。京都に演奏に来られていた横山勝也先生のホテルを訪ねて入門し、また、NHKの育成会にも入学して毎週京都から夜行バスで通うということをやってのけた(よって普段は、彼は私のことを“先輩”と呼ぶことが多いが、育成会では私が後輩にあたるため、NHKの中では私が彼を“にいさん”と呼ばねばならない→もちろん嘘)。
プロを志してから20年近くになるであろうか。近年は充実してきた演奏力に加え、生来の気配りの細やかさと面倒見の良さが支持され、京都の三曲界では欠かせぬ存在になっている。
その岡田道明プロの第5回リサイタルが2月12日(月・祝)、京都府民ホール・アルティで行なわれる。何と「10年連続開催」の目標を掲げ、その3年目にあたる今回は、かなーり気合の入った面白いプログラムである→詳細はこちら。前半が尺八本曲と三曲合奏の古典2曲、後半が尺八三重奏、四重奏、五重奏の現代作品3曲の全5曲で構成されている。私も後半の3曲でお手伝いするのであるが、3曲だけでもヒーヒーハァハァいっちゃうくらいハードな内容である。よくこんなプログラムを考えつき、それをまた実践するものだと感服する。彼こそ“炎のチャレンジャー”と呼ぶにふさわしい(ちょっとヨイショしすぎ?)。
ともあれ、演奏する側はたいへんであるが、聴いてくださる方々はお楽しみいただけること間違いない。ぜひとも“炎のチャレンジャー”の勇姿を見届けに来て頂きたい。
数日前、車を運転していたら前を走っていたトラックにこんなステッカーが貼ってあった。
『追突事故はプロの恥』
舞台上で追突事故を起こさぬよう、私もプロとしてしっかり準備をして臨みまひょ。
「美しい音は美しい心に宿る」
2007年1月8日
“わたしはだいがくせいのころしょうがくせいだった”
???と思える文章である。
パソコンにこう打ち込んで変換すると、“私は大学生の頃小学生だった”になる。
でもこのひらがなの文章は間違いやいちびりではない。
正解は“私は大学生の頃奨学生だった”なのであるから。
昨2006年も激動の一年であった。天災や人災、目を覆いたくなるばかりの凄惨な事件に事故、政治家や役人の不祥事は数知れず、これが平和と安全を誇った日本の姿かと思わせるような出来事が毎日のように報道された。
そんなニュースの中で私が憤懣やるかたない気持ちを覚えたのは「給食費の滞納」と「奨学金未返済」の二つであった。“何を小さいことを”と感じられる方も少なくないかもしれない。実際に大企業や政治家、役人どもが関与する“巨悪”に比べれば取るに足らない金額かもしれない(と思っていたら今日の朝刊に「給食費未納20億円超」と出ていた。もの凄い額のタダ食いである!)。しかし、魑魅魍魎が跋扈する“巨悪”の世界は今に始まったことではなく、悪しき体質であり伝統であり、政治家や役人の世界とはそんな“病気の世界”なのだと私は思う。
それに対して「給食費の滞納」や「奨学金未返済」はここ数年でその規模が急に拡大してしまった“一般市民の犯罪”である。店屋で飯を食って代金を払わなければ“無銭飲食”でしょっぴかれる。また、金貸しの会社にお金を借りて踏み倒そうとすれば怖く厳しい取立てが待っている(にちがいない)。それが給食費や奨学金においては、時効が短かったり〔給食費は何と2年!〕、取立てが厳しくなかったり(コワいオニイサンはいないようである)するせいもあって確信犯的に逃れようとする人間が後を絶たない。
私が最も憂えるのは、腹黒い政治家や役人たちではなく、一般市民によって引き起こされる、“人の道”を踏み外すような事例が増えてきたことである。
給食を食べるのは言うまでもなく子供であるが、食べた代金を“頼んだ覚えはない”などと言って払わない親を見て子供がどう思うかそのバカ親は考えたことがあるのか。貸与されて使った奨学金を、いい年をした大人が“今これ(返済金)を支払っちゃうと痛いんだよなぁ”などと、自分のことしか考えずに踏み倒していいと思うのか。
この二つの事例に象徴される“利己主義”や“刹那主義”が社会モラルの喪失やマナーの低下を生み、現在引き起こされる様々な事件や社会問題に繋がっていることは想像に難くない。
三島由紀夫が日本の将来を憂いて書いた有名な一文がある。
「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら『日本』はなくなつてしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、そ の代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。」 (「果たし得てゐない約束」より)
おそるべき洞察力と予言力である。37年前に書かれた文章であるがほぼ現在の日本の姿を言い当てている。残念なことにもはや「富裕」ではなくなってしまっているが・・・。
新しい首相はその政権構想のなかで日本を「美しい国」にしたいと提唱した。真に「美しい国」の姿を目指す(あるいは取り戻す)ならば「美しい人間」「美しい人の心」無しには成し得ない。私は、まず自分から「美しい人間」になれるよう勉め、この一年を生きていきたい。
さて、個人的な2006年は、某H女史の占星術によると“健弱”の年と出ていたが、おかげを持ち大病もせず、何とか充実した一年を終えることができた。門人会などを含めた演奏の機会は56回、放送が2回、講習会が10回ほど、それに教授活動が200日強で完全にオフの日は月1〜2日と、忙しい日々を過ごさせていただいた。
節目となった「第10回リサイタル」は(先月の“川石光利”氏による厳しい批評もあったが)、自分の到達点、相変わらずの欠点が明らかになり、良い反省材料となった。また、尺八の助演8名のうち門人が6名出演し(あとの2名は“風童”の戦友)、上々の評判を得たことはもっとも喜ばしいことであった(これは“安くついた”という意味では決してない、念のため)。
また、兄(向こうも私のことを“兄”と言っている。???)とのユニット「石川ブロス」が結成5年目にしてCDを発売し、ライブとともに好評を得たことも嬉しいことであった。
今年は従来の活動に加え、さらに、普段接することのない人々に尺八を知っていただく機会を増やしたい。また、私を慕ってきてくれた若手プロの門人達の生活がもっと安定するよう、ハード、ソフト両面から整備したいと考えている。
昨12月には半年振りに横山先生のレッスンを受けることができた。
緊張しながら吹いた演奏に対し、師は“よく吹いてはいるが君の音はノイジーだ。”というコメントを出された。
今年のスローガンは決まった。
『美しい音は美しい心から。心を鍛えて音を磨け。やるぞやります2007エイエイオー!』
本年もよろしくお願い申し上げます。
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